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「オーバーエイジ候補リストは存在した」大岩剛監督が初めて明かすパリ五輪チーム作り“OA枠未使用”の真相「A代表の“ある選手”も出たいと…」 

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佐藤景

佐藤景Kei Sato

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photograph byKoki Nagahama/JMPA

posted2024/10/09 11:00

「オーバーエイジ候補リストは存在した」大岩剛監督が初めて明かすパリ五輪チーム作り“OA枠未使用”の真相「A代表の“ある選手”も出たいと…」<Number Web> photograph by Koki Nagahama/JMPA

大岩監督率いる日本はグループステージでパラグアイ、マリ、イスラエルをいずれも零封して3連勝で決勝トーナメントに進んだが

オーバーエイジ候補リストは存在した

「当初は、40人から50人をリストアップしていました」

 今年4~5月に行われたオリンピック・アジア最終予選を兼ねたU-23アジアカップの最中に、指揮官はOA選手をかなりの数、リストアップしていたという。選考のポイントは「A代表でも主軸を担える選手であること」だった。

 OAとして加わる以上、他のU-23の選手たちを納得させる存在でなければならなかった。チーム構成上それは重要な要素で、だからこそA代表の主軸を担い得る選手である必要があったという。

「最初のレギュレーションでは早い段階である程度のリストを提出しなければいけなかったこともあって、リストアップをしました。いまA代表に選ばれている選手の中からオリンピックに来てくれるのであれば、一緒にやりたいという人をまず最初に出して、そこから個人的なアプローチに入っていく流れでしたね。

 それと並行してU-23アジアカップを戦っていたのですが、このグループに入ってくることで、U-23の選手たちもグッと上がっていくような人がいいとコーチングスタッフと話をしました。当然、移籍があったり、クラブの事情があったりで断念せざるを得ない選手もいましたが、中には『行きます』と言ってくれる人もいて。でもまだ、その時点ですぐに決められる状況ではなかったですね」

参加を希望してくれていたA代表選手

 実際のところ、直接話した何人かのA代表の選手から積極的な返事をもらっていた。ある選手からは東京五輪での経験を聞き、OA選手の影響や世代の選手の心理面についても貴重な話を聞かせてもらったという。本人も出場に対して前向きな気持ちを持っていたが、この夏は移籍の可能性があり、結局パリ行きはかなわなかった。

「候補の中には僕の立場を尊重してくれた選手もいました。当初、本大会の登録メンバーは18人だったので(最終的には入れ替え可能な18+4人に変更)、OAを1人呼べるのか、2人なのか、3人なのか、それがまた複数ポジションできる選手なのかどうかで、U-23の選手も含めて構成を考えなければならない。経験ある選手だからそういう事情も察してくれて、『気持ちとしては行きたいですが、最後は監督の決断に従います』と言ってくれました。結局、彼もクラブの事情が許さなかったですが、そういう申し出は有り難かった」

【次ページ】 オーバーエイジなしはいつ決断したのか

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