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がん闘病30年…“虎ハンター”小林邦昭、68歳で逝く「マスクを破いたり、剥がしたり…」初代タイガーマスクと抗争、引退後は道場の“名物管理人”
posted2024/09/13 11:13
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph by
Tokyo Sports Press
昭和~平成期のプロレス界で活躍した“虎ハンター”こと小林邦昭さんが膵臓がんのため亡くなられた。享年68。
今の感覚だと、68歳での旅立ちは「早すぎる」のだが、実のところ「小林さんが、がんで危ないらしい」というウワサ話は、すでに30年以上前から関係者の間で囁かれていた。1992(平成4)年に大腸がんを罹患した小林さんは長期欠場に入り治療に専念。表向きの欠場理由は「内臓疾患」とされていたが、実際はかなり深刻だった。
後楽園ホール控室のドアを開けただの閉めただの、世にも些細なきっかけから始まった空手道誠心会館との抗争を経て誕生した反選手会同盟が新日本プロレスで大きなうねりを起こし、やがては平成維震軍へと変化していく過程の時期。越中詩郎とともに、そのうねりを生み出した張本人である小林さんは、無念の欠場期間を送っていたのだった。
「がん患者だって、ガンガン運動するのが大事」
その後、見事にリング復帰を遂げて活躍していた小林さんだったが、がんは99年に肝臓へと転移。手術のために上半身の傷跡は凄まじいことになり、それを理由に2000年4月、ついに引退に踏み切った。引退試合(2000年4月21日、後楽園ホール、vs獣神サンダー・ライガー)は手術の傷跡を隠すため、タンクトップで上半身を覆ってのモノだった。現役選手である以上、ビルドアップした肉体を隠すことを嫌ったゆえの引退決断だった。
現役時代も引退後(道場の管理人)も世田谷区野毛の新日本プロレス道場で会うたびに、周囲にあまり人がいないのを見計らっては「おいおい。ちょっとこの傷を見てくれよ」と、上半身の傷跡を見せ(びらかし)てくれたものだ。傷跡は本当に年々増え続けていた。
自分が体験していないだけに、わかりづらい部分ではあるのだが、一般的に抗がん剤治療を行うと、しばらくグッタリとしてしまうという話はよく耳にする。しかし、小林さんときたら「今、病院で抗がん剤打ってきたところなんだよ」と道場に戻ってくると、そのままバーベルをガンガンと挙げ、ウエイトトレーニングに精を出している。そして「どう、筋肉張ってきたでしょ?」と身体を見せつけるのだ。傷跡こそ目立つものの、たしかに現役時代と大差ないほどのマッチョぶり。抗がん剤と騙されつつ、何か別のクスリでも打ってきたのでは? と疑うほどだった……。
不思議な現象ではあったが、小林さん自身も「がん患者だって、ガンガン運動するのが大事なんだ。オレは医学会でも貴重な実例として話題になってるんだよ」と笑っていたもの。人生の折り返し地点でもあった30代半ばにしてがんに罹患して以来、30年以上も節制や治療でがんと並走し続け、68歳まで生きた小林さんは、たしかに医学的見地からも着目すべき存在だろう。