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がん闘病30年…“虎ハンター”小林邦昭、68歳で逝く「マスクを破いたり、剥がしたり…」初代タイガーマスクと抗争、引退後は道場の“名物管理人” 

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高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

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photograph byTokyo Sports Press

posted2024/09/13 11:13

がん闘病30年…“虎ハンター”小林邦昭、68歳で逝く「マスクを破いたり、剥がしたり…」初代タイガーマスクと抗争、引退後は道場の“名物管理人”<Number Web> photograph by Tokyo Sports Press

9月9日に亡くなった小林邦昭さん。初代タイガーマスクとの抗争など昭和〜平成のプロレス界を彩った(写真は1982年11月4日、WWFジュニアヘビー級&NWA世界ジュニアヘビー級選手権)

 そんな小林さんが、一躍有名人となったのはメキシコや米西部での海外武者修行を終えて凱旋帰国した82(昭和57)年10月のこと。前年から大ブームを起こし、テレビ朝日のゴールデンタイム中継で高視聴率を叩きだし続けたタイガーマスク(初代=佐山聡)との抗争がきっかけだった。

 黄金の虎のマスクを破いたり、剝がしたりと「虎ハンター」の異名とともに、一気に世間に名前を売ったのが26歳の時。引退後まで虎ハンターと呼ばれ続けつつ、その実、タイガーマスク(初代)との抗争期間はわずか10カ月(82年10月~83年8月)に過ぎなかった。当時のインパクトの凄まじさが理解できる。

後輩たちに優しかった小林さん

 小林さんにとって、天才・佐山は1つ年下で、学年にすると2つ下。プロレス歴でいうと3年後輩となる。そんな佐山の怨敵として世に出て、名前を売った成功体験からか、小林さんは妙に後輩たちに親切で優しいという側面があった。

 説明するまでもないが、プロレス界は絶対的なタテ社会。先輩後輩の上下関係はどこまでも続きがち。小林さんは一生懸命頑張っているのに話題にならない後輩選手などを見ると、「なあ、なんとかアイツが話題になるよう記事にしてやってくれよ」なんて、われわれ報道陣に頼み込んでくることもしばしば。それに便乗して自分も……というワケでもなく、努力が今一つ報われていない後輩たちを熱心に売り込んでくる。そして時には、自らが踏み台となりつつ、後輩を売り出そうと画策することも多々あった。

 思えば、馳浩(87年12月27日、両国国技館)も獣神ライガー(獣神サンダー・ライガー、89年4月24日、東京ドーム)も、国内デビュー戦で小林さんとの一騎打ちに勝利してスター選手の仲間入りをしたし、齋藤彰俊も新日本と誠心会館の抗争で、小林さんとの壮絶な流血戦(92年1月30日、大田区体育館)がプロレス転身への契機となった。

 95年のある日、入場する野上彰(現・AKIRA)を小林さんが襲撃したことから因縁抗争が始まり、敗者髪切りマッチで敗れた小林さんが丸坊主となり、その心意気に心酔した野上が平成維震軍入りするという出来事があった。その始まりとなった襲撃時、集まった報道陣が無法襲撃の動機について質問すると、小林さんは「だって、あんなに練習も試合もコツコツと頑張っている野上に注目が集まっていないのはおかしいだろ? だからオレが……」と、いきなり本音トーク。いい話なのだが、このコメントは当時、どの新聞、雑誌でもボツとなったはずだ。

 その他、新日本プロレスとWARの抗争時代に、佐山の直系弟子・北原光騎との抗争などなど、話題になったモノから、そうでもなかったモノまで、小林さんにはいつも「頑張っている後輩たちに光を!」という行動原理が見られた。

【次ページ】 総合格闘技のリングに出場→失神KO負け

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