ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
小林邦昭はなぜ“タイガーのマスク”を剝いだのか? アンチからは嫌がらせも、プロレスラーに愛されて…佐山聡と「最高のライバル関係」の真実
posted2024/09/14 11:03
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
東京スポーツ新聞社
“虎ハンター”の異名を持ち、80年代前半の初代タイガーマスクとの抗争で一世を風靡した小林邦昭が9月9日に68歳でこの世を去った。92年に大腸がんを患い、99年には肝臓にも転移し現役を引退。その後も2度、肺に転移し手術を行ったが、晩年まで新日本プロレス道場の管理人を務めながら身体を鍛え続け、じつに32年もの長きにわたりがんと闘い続けたレスラーだった。
ここに1枚の写真がある。アントニオ猪木を中心に坂口征二、長州力、藤原喜明、木村健悟、栗栖正伸、北沢幹之、ヒロ斎藤、新倉史祐ら、新日本プロレス創成期のメンバーが一堂に会した、昭和のプロレスファン垂涎の集合写真。これは猪木が亡くなる約2年前の2020年9月に行われた「アントニオ猪木会長を囲む会」での1枚だが、この会を企画して各OBたちに声をかけたのが小林邦昭だった。
昭和の新日本といえば、それぞれ我が強いレスラー揃い。人間関係も複雑であの頃のメンバーが一堂に会するのが難しいと言われている中、これだけのメンバーが集まったのは、それぞれの師・猪木に対する思いと主催した小林の人柄によるところが大きいだろう(当日は藤波辰爾、佐山聡、木戸修が時間に間に合わず欠席。現役世代の棚橋弘至も駆けつけた)。
佐山が明かした小林の人柄「怒られたことは一回もない」
生涯のライバルで親友でもあった初代タイガーマスクこと佐山聡との親交も、小林の誰からも愛された温厚な性格あってのものだった。以前、筆者がインタビューした際、佐山は「小林さんってすごくいい人なんですよ。あんなにいい先輩はいません。威張らないですし、怒られたことも一回もない。同時期にメキシコ修行に行った時もすごく仲良くさせてもらいました」と語っていた。そして小林邦昭も生前インタビューした際、こう振り返っている。
「佐山は3年後輩なんですけど、若手の頃から仲良かったんですよ。当時の新日本プロレスで、佐山とケンカしてないのは僕くらいじゃないかな? ほとんどの選手がケンカしてますから。佐山は横柄な態度を取られるとキレちゃうんですよ。でも、僕は人とそういうふうに接するタイプじゃないから」