核心にシュートを!BACK NUMBER
「大人になった」「前はイライラしたけど」久保建英と堂安律の成熟は取材エリアでも「純也くん!純也くん!!」笑いを取る伊東純也の後ろで久保は…
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/09/08 17:00
堂安律と久保建英。個の力を持ちながらも連動ができる右サイドは、日本代表史に残る攻撃力となり得る
前回の最終予選を思い出してほしい。
東京五輪に出場した彼らは4位に終わった悔しさを抱きながらも、「これからは俺たちがA代表を引っ張るのだ」という意気込みで最終予選を迎えた。
しかし、オマーン相手に苦杯をなめた初戦は、ともにベンチスタートだった。結局、堂安は27分、久保は20分しかピッチに立てず、苦境を救うことができなかった。
それでも、続く中国戦で久保は先発に抜擢されると、圧巻のパフォーマンスで試合を支配した。「ついに久保の時代が来たか」と多くの人に感じさせたはずだ。ところが、スペイン帰国後に右ひざを負傷し、そこから代表戦を4試合欠場することになった。
一方、当時の堂安はビーレフェルトへのレンタルを経て、再チャレンジしていたPSVで活躍し始めていた。実際、このシーズンは公式戦で計11ゴールを挙げた。当時の攻撃陣の中でもクラブの格はトップクラスだった。
ただ、当時の日本はフォーメーションを〈4-3-3〉に変更。トップ下のポジションがなくなっただけでなく、右ウイングの伊東純也が最終予選4試合連続ゴールという圧巻のパフォーマンスを披露した。こうして最終予選の間、2人は歯ぎしりする時間が続いた。悔しさが不満げな表情となって出てしまったこともあった。
あの頃は単純に実力が足りなかったなと
だが、2人はあの頃とは違う。
堂安は当時の“青さ”を素直に認めている。
「単純に実力が足りなかったと思っています。代わりに純也くんが出て、間違いなく、救世主としての働きをしていたので。今、思えば(当時の状況は)理解できます。ただあの当時はイライラしていました! まあ、自分に足りなかったものはW杯前には気づいていましたけど」
そう言い切れるのは、確固たる自信を手にしたからに他ならない。
ライバルが活躍してくれないと…こっちも困ります!
成熟したのは久保も同じだ。冒頭に記した「大人」発言は、このように続いていった。
「『僕が、僕が』というのが全てではないですし、あくまでもチームスポーツ。色々な選手の良さを一番(多く)出そうとはしていますけど……」
自らの心理状態を分析しつつ、自分の実力を信じている久保は、こうも語る。