オリンピックへの道BACK NUMBER
パリ五輪「自己ベストがメダルの松下知之だけ」惨敗の日本競泳をどう再建するか…「挨拶もできない選手がいた」アトランタからの再建に学べ
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byRyosuke Menju/JMPA
posted2024/08/23 11:00
結果を出せなかった日本競泳陣のなかで孤軍奮闘した松下知之
北島康介が100m平泳ぎで金メダルを獲得すると、レースの夜、北島のコーチである平井氏が、どのような戦略を授けたのかを語り、それに他のコーチたちが耳を傾けていた。
「そのおかげで戦略を修正し、獲れたメダルが2つあります」
トレーナーのアイデアで宿舎に1枚の模造紙が貼られた。北島に対して祝福のメッセージが多数書き込まれると、北島はお礼と次の日に出場する選手への激励を書き込んだ。そのキャッチボールは最終日まで続いた。
代表のあり方を考え直すために
チームとして戦う意識は、のちのちまで続いた。例えば2012年ロンドン五輪でキャプテンを務めた松田丈志は、選手ミーティングを何度も実施してチームとして戦う意識を高め、経験の浅い選手のサポートに努めるなどした。それに感謝する選手の声もある。
ロンドンでは男子400mメドレーリレーで銀メダルを獲得したが、この大会の個人種目でメダルを手にすることができなかった北島に触れ、松田が「(北島)康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかないので」と語っている。続く2016年リオデジャネイロ五輪800mリレーでは同種目52年ぶりの銅メダルに輝いた。このときはリレーのみの出場だった松田に関し、「丈志さんを手ぶらで帰せない」をメンバーだった江原騎士、小堀勇氣らが合言葉にしていたという。それらもまた、代表の雰囲気を物語っている。
競泳は個人競技であるから、まずは自身を伸ばさなければならない。ただ、個人の力を発揮するには周囲のサポートが欠かせない。大舞台で緊張を乗り越える力にもなる。そのひとつの大きな輪が、代表のチーム化であっただろう。
今後の再建を進めるにも、方向性はひとつとは限らない。海外の知見をさらに得ていくこともテーマとして浮かぶ。ただ、昨年の世界選手権後に、選手たちがSNSで強化を巡っての疑問を訴え、世界から出遅れていること、選手に対してアスリートファーストではなくなっていることなどを批判したように、日本代表のありようはすでに課題として表面化していた。また、パリ五輪ではプールの水深などの情報共有ができていなかったという問題を残したことも考えあわせれば、アトランタ五輪後の再建は、ひとつの参考材料となりうるのではないか。