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パリ五輪「自己ベストがメダルの松下知之だけ」惨敗の日本競泳をどう再建するか…「挨拶もできない選手がいた」アトランタからの再建に学べ
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byRyosuke Menju/JMPA
posted2024/08/23 11:00
結果を出せなかった日本競泳陣のなかで孤軍奮闘した松下知之
「ヒントは、学校同士の対抗試合にありました。各学校のクラブが一丸となることで選手もいい泳ぎをする。オリンピックも同じなんじゃないかと思ったのです」
実はヘッドコーチ就任前には、上野氏はナショナルチ―ムとのかかわりはなく、ジュニアの選手と国際大会に参加した経験がある程度で、高校教師として水泳部を指導していたに過ぎなかった。
「だからこそ、自分が選ばれたのだろうと思いました」
抜擢された意味を読み取ると、まずはスイミングクラブ間の垣根を取り払うことに努めた。選手やコーチのだいたいは各クラブに属しているが、クラブ同士は競争相手でもあり、対抗意識は強い。クラブをまわっては話し合いを重ね、お互いの溝を埋めていった。
ともに戦う仲間という意識を
大会や合宿時はコーチ、選手全員そろって、あるいはコーチだけを集めてミーティングを繰り返した。代表が存在する理由、国際舞台にどう臨むべきかを共有するとともに、一緒に戦う仲間である意識を根付かせるためだった。宿舎のコーチの部屋のドアを開けっ放しにすることで、いつでも選手が訪ねてこられるようにした。
選手にはマナーも教えた。他競技のスタッフから「アトランタのときの競泳は遊びに来たのかと思うくらい態度が悪かったね」と指摘されたのがショックだったからだ。
「僕がヘッドコーチになってみると、挨拶すらできない選手もいたのはたしかです。戦う準備は一人でできるわけじゃない。裏で支えるスタッフの人々がいるからです。感謝の念もない選手は周囲の人々から応援されることもないし、強くもなれないと思います。だから挨拶から教えました」
やがて所属先の異なる選手同士が意見を交換し、コーチが他の所属先の選手にアドバイスする光景が自然に生まれたという。
ヘッドコーチとして最後に臨んだアテネ五輪では、2つ忘れがたい光景がある。