甲子園の風BACK NUMBER
球場でヤジ応酬、32歳監督に殺害予告も…あの岩手大会決勝から5年“佐々木朗希の代わりに登板した男”の証言「なぜ5番手ピッチャーが先発した?」
posted2024/08/24 17:22
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph by
Asami Enomoto
◆◆◆
2019年夏の岩手大会決勝の試合後、ベンチ前で報道陣に囲まれていた國保陽平(32歳)に対し、応援席から心ない野次が飛んだ。
「本気で甲子園さ行ぎたくねえんか!」
すると今度は國保を擁護する声が飛んだ。
「やめろー。そんな罵声を浴びせるのはやめろー!」
予期せぬ場外乱闘に、國保は報道陣に断りを入れて、取材をいったん中断した。動揺しているように見えた。
「殺害予告を受けたことはありますか?」
あれから5年が経った今年7月。母校である盛岡第一高校硬式野球部の副部長を務める彼は、岩手県高野連の仕事として、駐車場の整理係を担当していた。國保は当時をこう振り返った。
「実は野次が飛んだことを、僕は覚えていないんです。(筆者の)記事で知って、そんなことがあったのか、と。まあしかし、決勝のあとは大変でした」
令和の怪物を起用せずに敗れ、大船渡にとって35年ぶりとなる甲子園出場が潰えたことで、学校には苦情の電話が250件以上も届いたという。
「手紙なんかも届いたんですが、事務室の方が目を通して、僕の元に届かないように配慮してくださっていたんです。でも、中には一般の郵便に紛れ込んで、目にしてしまうこともありました。殺害予告を受けたことはありますか? あれはさすがに動揺します。普通の人生を送っているだけなのに、殺害予告なんか受けない方がいいに決まってますよね……」
5年という時間によって、辛い記憶も臆せずに話せる思い出となった。
当時、國保が世論の怒りを買ったのは、勝負を諦めたかのような采配に映ったからだ。なぜ、甲子園を懸けた試合で、先発投手が実質、5番手だった柴田貴広だったのか。なぜ大勢の決した7回に送り出した投手も、4番手に位置づけられる2年生の前川真斗だったのか。
なぜ決勝で“4、5番手”を登板させたのか
國保が内情を明かす。