甲子園の風BACK NUMBER
佐々木朗希の恩師が泣いていた…高校野球を激変させた“登板回避”の決断「時間が戻っても朗希を投げさせない」大船渡の32歳監督は何者だったのか
posted2024/08/24 17:21
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph by
Asami Enomoto
◆◆◆
記者の番号を…國保陽平という男
岩手県立大船渡高校の元監督で、現在は盛岡第一高校の硬式野球部副部長を務める國保陽平(37歳)は実に偏屈な男だ。そして意固地だ。
2019年の夏が終わると、登録してあった記者の携帯番号をすべて着信拒否にした。どんなに私が岩手に通い続け、親しくなっても、携帯電話の番号を教えてくれないのは、彼なりの仁義を貫こうとするからだ。それゆえ、國保に話を聞こうと思う度に、私は岩手にまで足を運ばなければならない。
また、昨年春に大船渡を離れ、母校の盛岡第一に転勤となると、大船渡の教え子たちにこう告げた。
「今後、球場でお前たちと会っても、オレは挨拶はしないし、目配せもしない。『國保はなんて冷たいヤツなんだ』と思うかもしれないが、心の中では応援してるぞ」
曰く、盛岡第一の教員でありながら、大船渡の選手と親しそうに話しているのを盛岡第一の選手が見たら、「先生はやっぱり大船渡の子たちがかわいいんだ」と嫉妬するかもしれない。だから、大船渡の選手とは交流しないというのだ。
私には國保の言い分が解せなかったが、自分がこれと決めたことを断固として譲らない姿勢は、野球における采配にも通ずる。
昨年夏、盛岡第一と大船渡は岩手大会3回戦で対戦した。教え子同士の対決を、國保は室内練習場から見守っていた。大船渡の先発は佐々木怜希、令和の怪物の弟である。打者としても期待が高かった怜希が3回に3失点を喫しベンチに下がると、「どこかケガしたのかもしれません」と気が気ではない様子だった。
軍配は3対1で盛岡第一に上がった。その瞬間、驚きの光景を目撃した。