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佐々木朗希の“登板回避”で大騒動…大船渡あの32歳監督は今「高校野球監督ではなく…」追い続けた記者に語った真相「当時ムキになっていた」
posted2024/08/24 17:20
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph by
Yuji Yanagawa
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球場駐車場の整理を…國保陽平の今
夏の岩手大会2回戦が開催されていた2024年7月15日、「きたぎんボールパーク」(岩手県盛岡市)の駐車場に、國保陽平(37歳)の姿はあった。現在、母校である盛岡第一高校硬式野球部の副部長を務める彼は、岩手県高野連の仕事として、駐車場の整理係を担当していた。海の日(祝日)とあって、自家用車で訪れる応援団や高校野球ファンの列が途切れない。
だだっ広い駐車場を忙しく動き回るポロシャツ姿のこの男が、5年前の夏、高校野球の世界で物議を醸す決断を下した監督本人であることに気付くファンはどれほどいるだろうか。國保は「誰にも気付かれませんよ。もう5年も経っているんですから」とニンマリし、言葉を続けた。
「僕の話を聞きにわざわざ岩手までやってくる報道の方も、他には誰もいません」
いつの頃からか、國保とは軽口を言い合う仲になっていた。そこで、令和の怪物ばりのド直球の質問をぶつけた。
――教え子の佐々木朗希(千葉ロッテ)は本当にロサンゼルス・ドジャースに行きたいんですか。
「そんなの僕に分かるわけないじゃないですか(笑)。ノーコメントで」
もちろん、國保に会いに来た理由はそんな質問のためではない。
同時刻、球場では花巻農業と花巻東が対戦していた。花巻農業は國保が初めて監督を務めた縁のある学校だ。そして花巻東は5年前に岩手大会決勝で対戦して敗れた、因縁の相手である。
賛否割れた「佐々木朗希の登板回避」
2019年夏、國保は公立の大船渡を率いていた。その時、エースだったのが令和の怪物と呼ばれていた佐々木である。しかし、大船渡にとって35年ぶりの甲子園切符が懸かった岩手大会決勝で、國保は佐々木をマウンドに送らなかった。準決勝で4番に座っていた佐々木を、一打席も立たせなかった。つまり、出場させなかった。