- #1
- #2
甲子園の風BACK NUMBER
大阪桐蔭→慶大野球部で“伝説のキャプテン”だった男は、なぜプロ志望届を出さなかったのか?…「野球だけだと視野が狭いと思ったので」
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)Fumi
posted2024/08/08 06:01
大阪桐蔭→慶大で主将を歴任した福井章吾。それぞれで全国制覇を達成した彼がプロを目指さなかった理由は何だったのだろうか
「大半の選手が大学で野球を終えるので就職活動がありますし、野球を続ける子は進路のために野球を頑張る。野球しかしてこなかった自分が、そういう思いをどうチームに落とし込むか、それは難しかったです。150キロを投げるためにはこんなことやらなあかんとか、高校ではこんなことをやっていたとか、野球っぽく言ってもみんなには響かないんです。
高校では日本一になるためにこうやろう、と足並みをそろえていたけれど、大学では日本一になるにはどうすればいいのか、日本一にふさわしいチームって何だろうとか、チームワークをどうすればいいだろうとか。慶應は甲子園経験者が他の大学よりは少なかったので、六大学の中で勝ち抜くためにどうすればいいのか、よく考えましたね」
それでもリーグ戦で勝つ、さらに全国の舞台で勝つことの重要性を、試合を重ねながらチーム全体で体感し、共有することで、その意味を分かち合い、それが功績となった。
プロの選択肢は「まったくなかった」理由は?
福井自身は、大学卒業後にプロに進む選択肢はまったく頭にはなかった。
同期には正木智也(ソフトバンク)、1年上には木澤尚文(ヤクルト)というプロ入りした高いレベルの選手もいたが、福井は社会人野球でのプレーを熱望していた。
「社会人でしっかり野球をやり切る。でも何がまだ足りないかを考えた時、自分のスキルを言語化する能力が足りないと思いました。大学ではまだ感覚で野球をやっていたので、自分の技術を体得して言語化できるようになれば、コーチングができるし、指導者になった時にちゃんと口で伝えられるようになるので、社会人野球でもうひとつ、ふたつ技術を磨きたいと思いました」
現役を続けたいというのはもちろんだが、社会人野球に進みたい理由は他にもあった。