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甲子園の風BACK NUMBER
大阪桐蔭→慶大野球部で“伝説のキャプテン”だった男は、なぜプロ志望届を出さなかったのか?…「野球だけだと視野が狭いと思ったので」
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)Fumi
posted2024/08/08 06:01
大阪桐蔭→慶大で主将を歴任した福井章吾。それぞれで全国制覇を達成した彼がプロを目指さなかった理由は何だったのだろうか
慶大でも入学直後からリーダー格として期待されてきた。
4年生になると主将に就任し、リーグ戦では91年以来の「春秋連覇」を含め、大学選手権を制し「三冠」も達成した。何より、高校時代よりも大所帯の慶大でのキャプテン業は、大変さの中、高校時代とは違ったやりがいもあったという。
「1年生からの3年間、先輩たちのやり方を見ながら、慶応大学はどんな組織でやっているのかはよく見てきました。
大阪桐蔭の時のように“おい、ちゃんとやらんかい!”みたいな感じで動くのではなく、ある程度は論理的に過程を踏んで話さないと、頭のいい慶応の選手らは理解してくれないでしょう。でも、高校での経験は大きかったです」
大阪桐蔭と慶大…主将の在り方の違い
そもそも組織の在り方が、高校と大学では異なる。高校は選手がいて、その選手たちを指導する大人で組織が成り立っている。だが、大学は選手、指導者の間に学生コーチがおり、学生コーチとのやり取りがチーム作りを左右すると考えていた。
「学生コーチは選手と指導者の間でクッションのような立場。でも、板挟みになっている場合もあるので、彼らをどう機能させるかがチーム作りに影響する。ですので、学生コーチとはよくコミュニケーションを取るようにしました。高校時代は60人前後でしたけれど、大学は180人前後。キャプテン1人の目では管理できないほどの人数です。僕がAチームで練習していても、スタッフにはAもBも人によってはCも見ている者がいるので、スタッフ間でAがやっている練習や思いをBに浸透させていくとか、そういうマネジメントをやってきました」
大阪桐蔭では上級生、下級生が分け隔てなく仲が良く、一体感を大事にしてきた。
同じ寮で寝食を共にし、家族のような空気を大事にしながら全員が日本一になるという同じ目的を持っていた。だが、大学では選手それぞれの方向性が違っていた。