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「負けたら殴られる」指導者に抱いた不信感…元バレーボール日本代表・斎藤真由美はなぜ“高校1年生で中退”したのか? 本人が明かす壮絶な過去
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byMiki Fukano
posted2024/07/25 17:00
現在は群馬グリーンウイングスで監督を務める斎藤真由美さん(53歳)
負けたら延々と殴られる…指導者に抱いた不信感
もともと長身で運動神経がよかった斎藤さんは、入部2年目からキャプテンとなり、全国大会にも出場。そこから中学のバレーボール部でも頭角を現し、強豪高校からスカウトが来るほどになった。
中学卒業後、バレーボールの名門校にスポーツ推薦で入学。1年生からレギュラーとなった斎藤さんの活躍もあり、チームはインターハイで3位の好成績を残す。
しかし当時のバレーボール部、しかも全国大会の常連校は想像を超える過酷な場所だった。
「体育館が狭くてコート1面しか取れなかったために、レギュラー以外の選手は校舎を走ったりしてボール練習に参加できない。そのストレスにより、人間関係が歪んでしまうことがつらかったです」
指導者も厳しかった。試合に負けたあとは延々と殴られる。鼻血をぬぐうと、それが気にいらないからと再び殴る。長時間の叱責でトイレに行けず、その場で漏らす選手もいた。そんなことが日常茶飯事の時代だった。
「うちの高校の監督だけではなくて、当時は伝統ある学校とか、強豪校には口より先に手が出る監督が大勢いて、大会などでそういう指導をたくさん見ているうちに、すごく不信感を持ってしまって……」
「もうバレーはやらない」高校を中退した日
恋愛禁止、甘いもの禁止、髪の毛はショートでなければいけない等々、監督の言葉が絶対で、監督が右と言えば右なのだという指導がまかり通る世界。選手をアゴで動かし、二日酔いのため練習中に居眠りをする指導者の姿を見て心底がっかりした。誰の言葉を信じ、誰についていけばいいのかわからなくなった。10代の斎藤さんの目には、それらの指導者が、自分より弱い立場の選手たちを乱暴な言葉で威圧し、自分に指導能力がないことをごまかしているように見えたという。
バレーボール部やスポーツ界というよりも、大人に対し、社会に対し、大きな不信感が生まれた。その不信感は「バレーボールが好きだ」という気持ちをかき消すくらい大きく膨らみ、斎藤さんの心を蝕んだ。
「元々、スポーツを始めたきっかけが『楽しみたい』からで、バレーボールが好きだからこそ厳しい練習も乗り越えていけると思っていたのですが……。最終的には自分のバレーボールに向けていた情熱を失ってしまったという感じです。これなら、もうバレーはやらない方がいいと思ってしまい、高校を中退しました」