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交通事故被害から“4年半ぶり”の復帰、現在は監督業…バレー・斎藤真由美(53歳)を奮い立たせた「大ケガを負った母からの言葉」
posted2024/07/25 17:02
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph by
Miki Fukano
バレーボール日本代表として活躍し、「バレーボール界のゴクミ」と呼ばれ一世を風靡した斎藤真由美さん(53歳)。現在は「SVリーグ」に参戦する群馬グリーンウイングスの監督を務めている。インタビュー最終回では、交通事故による大ケガからの復帰、引退後の活動などを聞いた。《NumebrWebインタビュー最終回》
交通事故により、斎藤さんは心身に大きなダメージを負った。
飲酒と居眠りで蛇行するトラックがこちらに迫ってくる。大きな衝撃のあと、目を開けると視界が自分の血の色で真っ赤に染まっている。斎藤さんの顔の前で横転した車のタイヤがぐるぐると回っていた。
「事故の瞬間のフラッシュバックが続き、当面は体のリハビリよりフラッシュバックや悪夢にうなされることに耐えるので精いっぱいでした」
斎藤さんを診察した医師が1年間、イトーヨーカドーのチームドクターが勤務する北海道での療養を勧めてくれた。まずはじっくりメンタルをケアしたほうが良いと判断したからだ。
一緒に事故に遭った母親と斎藤さんが北海道の病院に入院。チームドクターがリハビリ用にと借りたゴルフ場を使って、毎日、芝生の上を裸足で歩くところからスタートした。
事故で障害者になった母からの“ある言葉”
しかし心の傷は大きく、不安はなかなかぬぐい切れなかったという。
「この怪我が治っても前のようなパフォーマンスができるかどうかわからない不安とか、バレーボール以外のことをやるにしても、まずは怪我を克服しないと進まない。そうなると、バレーボールしかやってこなかったわたしに今後、何ができるんだろうとか……いろいろ考えてしまうんですよ」
もしかしたら自分はバレーボール選手としての価値がなくなるのではないか。そんな出口の見えない不安と戦う毎日だった。
では、斎藤さんは、そんな混沌の中からどうやって光を見つけたのか。
「やはり家族の存在は大きかったです。事故のときにハンドルを握っていた兄は、全くこちらに過失がないにも関わらず大きな責任を感じていました。同乗していた母は『自分が一番大きな怪我を負ったと思えばなんともない』『真由美がコートでプレーを見せてくれれば傷が癒される』とも言ってくれました。その言葉でスイッチが入ったのは事実ですね。必ず怪我を克服してコートに戻ってみせるという思いが湧き上がってきました」
事故の際、後部座席に乗っていた母親は、一命はとりとめたものの両肩脱臼骨折でその後、障害者として不自由な生活を送ることとなった。そんな母の献身的な言葉が大きく心に響いたと振り返る。
“心の傷”はいかにして癒えていったのか?
そしてもう一つ。競技者への復帰に向けてトレーニングを再開したころのことだ。当時はウェートトレーニングで1キロの重りを持つと肩がしびれる、少し歩けるようになると膝に水が溜まり注射で抜く等、一進一退の繰り返しだった。