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「負けたら殴られる」指導者に抱いた不信感…元バレーボール日本代表・斎藤真由美はなぜ“高校1年生で中退”したのか? 本人が明かす壮絶な過去

posted2024/07/25 17:00

 
「負けたら殴られる」指導者に抱いた不信感…元バレーボール日本代表・斎藤真由美はなぜ“高校1年生で中退”したのか? 本人が明かす壮絶な過去<Number Web> photograph by Miki Fukano

現在は群馬グリーンウイングスで監督を務める斎藤真由美さん(53歳)

text by

市川忍

市川忍Shinobu Ichikawa

PROFILE

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Miki Fukano

 1980年代後半から1990年代にかけ、バレーボール日本代表で活躍した斎藤真由美さん。17歳でソウル五輪の日本代表候補となり、当時人気のあった美少女タレントに顔立ちが似ていたことから「バレーボール界のゴクミ(後藤久美子)」と呼ばれ一世を風靡した。日本代表で活躍した時期は数年と意外にも短いが、それでもバレーボールファンの脳裏には鮮やかな記憶として斎藤さんの姿が残っている。

 イトーヨーカドーからダイエー、パイオニアとチームを移籍しながらプレーを続けた斎藤さんは2022年、群馬を拠点とする『群馬グリーンウイングス』の監督に就任。現在は今年秋にスタートする新プロリーグ「SVリーグ」に参戦することを表明したチームにて日々、選手を鍛えている。

 1年で中退した高校生活や、選手として最も旬な時期に遭ってしまった不運な事故。そして長いリハビリ期間を経ての復帰――。『壮絶』という一言では済ませられないほど波乱のあった斎藤さんのバレーボール人生を改めて振り返ってもらった。《NumberWebインタビュー全3回の初回》

◆◆◆

 斎藤さんがバレーボールに出会ったのは小学校高学年のときだった。それまでスポーツには全く興味がなかった斎藤さんに、兄がクラブに入ることを勧めたからだ。

「運動は得意でしたが、当時のわたしは大人しい子供でした。いじめにあっていまして……。それで、どちらかというと人と一緒にいることを避けていたんですよ」

焼却炉に捨てられていたランドセル

 いじめのきっかけは全く分からなかった。突然、教室でクラスメートに無視されるようになり、持ち物がなくなるなど嫌がらせは徐々にエスカレートしていった。ある日、ランドセルが校庭の隅の焼却炉に捨てられていた。一部がすでに燃えて、肩掛けの部分が溶けている。家族に心配をかけたくなかった斎藤さんは「背が大きいからもうランドセルが持ちづらくて」と嘘をつき、ボストンバッグで通学した。

「小4の時に両親が離婚をして、わたしと兄は母に引き取られました。4つ年上の兄が父親代わりのようにわたしの面倒を見てくれましたね。兄はわたしがいじめを受けていることも察していたようです。自分も野球をやっていて、目標があることの大切さを知っていたので、スポーツを勧めてくれたんだと思います」

 最初は「ほかにやることもないし、まぁ、いいか」という軽い気持ちだった。しかし、徐々にその楽しさに目覚めていった。最初はルールも分からないところからのスタート。それでも応援の練習やボール拾い、ボトルに水を入れるなどの「自分に与えられた役割」が存在することがうれしかった。やりがいを感じた。

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