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バレーボールPRESSBACK NUMBER
肝っ玉母ちゃんが鍛えた“泣き虫ゆうじ”の成長記録「西田有志はベンチで踊っていればいい」辛辣エールは愛情の裏返し「私たちもさりちゃんが大好き」
posted2024/06/08 11:03
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Volleyball World
人生はいつ、どこで何が起こるかわからない。
もしかしたら、西田有志は埋もれていたかもしれない。その才能を、今につながる世界へと引き上げた転機は突然、訪れた。
敵将が発見したトンデモない才能
有志が通っていた海星高は地元・三重県では強豪校ではあったものの、そもそも全国レベルにはない。さらに中学時代に目立った実績があるわけでもない少年に陽が当たらないのは無理もなかった。
そんな有志の能力を最初に高く評価したのは、練習試合で対戦した福井工大福井高の西田靖宏監督だった。まだまだ粗さはあるが、スパイクは間違いなく一級品。そう確認した西田監督の推薦もあり、ユース代表候補合宿に呼ばれるようになった。
有志が初めて日の丸をつけて臨んだのは、2016年8月の日韓中ジュニア交流競技大会。中国で開催された大会を2勝1敗で終え、帰国した有志が嬉しそうに言った。
「俺、一番得点獲ったらしいで」
小学生時代から出場した大会の記録をメモするマメな父・徳美さんが調べても大会のデータはわからなかったが、その後すぐに翌年に開催されるアジアユース選手権の代表候補メンバーに選出されたことで、活躍は証明された。
ただ、アジアユースに向けた合宿で最初に任されたポジションは意外にもリベロだった。海星高ではサーブレシーブも担うアウトサイドヒッターだったが、西田の武器は何と言っても攻撃力であることは誰もが認めていた。確かに守備は得意ではあったが「このレベルではリベロになるのか」と両親は驚かされたという。
それでも有志は「自分がやることをやるのみ」と巡って来たチャンスに目を輝かせた。当然、そのままリベロであるはずもなく、ポジションは本来のオポジットに。そして、2017年3月にアジアユース選手権に出場するU19日本代表の一員に選ばれた。