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バレーボールPRESSBACK NUMBER
“ヤンチャ坊主”西田有志を育てた肝っ玉母ちゃんとマジメな父「タバコ吸いたいなら吸え」悪さしてもバレーボールだけは一生懸命だった
posted2024/06/08 11:02
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Volleyball World / Nishida family
絵に描いたような“わんぱく坊主”
西田有志は、泣き虫だった。
姉は8歳上、兄は6歳上。歳の離れた末っ子を出産したとき、母・美保さんは30歳を過ぎていた。実業団のバスケットボール選手として鍛えた体力もさすがに落ちていたうえに、術後も造血剤を打たなければならないほど出産時は出血した。
「腕っぷしで押さえつけて、厳しく育てた」という上の2人からは「お母さん、有志には甘いんじゃないの」と今でも時折責められるが、あの時は「到底、無理だった」と笑う。
「私もバスケで厳しく育てられてきたので、子どもたちにもビシビシやった。今の時代、殴るなんて言ったら怒られるのかもしれないですけど、3人の育児をするのは戦いですよ。でも(有志の時は)殴る力もないぐらいヘトヘトでした(笑)。だからお姉ちゃんから『何で有志は叩かんのよ』って言われたけど……そもそも有志は叱るとすぐ泣くんですよ」
母が3人姉弟に共通して叩き込んできたのは、決して特別なことではない。
挨拶をする。目上の人に対しては敬語で、生意気な口はきかない。脱いだ靴は揃える。
ごくごく当たり前のことばかりだったが、幼い子どもたちはお構いなし。特に6歳上の兄に対して普段から「圭吾」と呼び捨てにしていた有志は、絵に描いたような“わんぱく坊主”に育った。
「あの子、今でも上の人に平気でため口でしょ? もうね、そういう姿を見るたびに冷や汗が止まらん。呆れますよ(笑)」
愛が溢れた西田家のリビング
三重県いなべ市の自宅。玄関に隣接したリビングに足を一歩踏み入れれば、これまで有志が獲得してきたメダルやトロフィー、額に入った賞状が飾られている。高校時代の小さな記事から表紙を飾った雑誌や本までズラリと網羅されており、アルバムには幼少期の写真がきれいに整理されていた。
“呆れる”の言葉とは裏腹に、家中の至るところに息子への愛が溢れていた。