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バレーボールPRESSBACK NUMBER
肝っ玉母ちゃんが鍛えた“泣き虫ゆうじ”の成長記録「西田有志はベンチで踊っていればいい」辛辣エールは愛情の裏返し「私たちもさりちゃんが大好き」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byVolleyball World
posted2024/06/08 11:03
日本代表に欠かせない存在に成長した西田有志(22歳)。重苦しい空気を打破するパワーはパリ五輪でも頼りになるはずだ
この大会で上位に入ることができれば、翌年の世界ユース選手権への出場が決まる。「俺の力を見せつけてやる」とばかりに意気揚々と出発したが、しかし、戦いを終えた息子は帰国後にポツリと発した。徳美さんはその言葉を今でもはっきり覚えている。
「『宮浦(健人)くんには敵わない』って。そんなこと、後にも先にも言ったことはありませんから」
バレーボールを始めてから、周囲に自身を上回る選手などいなかった。有志にとって初めて“壁”となったのが1歳上で、同じ左利きのオポジット、宮浦だった。
誰にも負けないと思っていた自分のスパイクよりも豪快な音でボールをコートに叩きつけていく。U19日本代表で主将としてアジアユース選手権優勝に導いた宮浦が紛れもなくチームの軸だった。そして、西田は同年の世界ユース選手権のメンバーから落選する。
意気消沈する息子をどうやって励まそうか――普通ならそう考えるが、ここでも母は厳しく接した。
「あそこで落とされてよかった。選ばれていたら、それこそ天狗になっていましたから。(海星高でも)3年生でキャプテンになって、『周りをもっと見て行動しろ』と叱られているのを見て、ほら見てみぃ、お母さんが言うた通りやろ、と思っていたぐらい。だから私は今でも“宮浦くんさまさま”。それは有志も同じ。ずっと宮浦くんのことをリスペクトしているんです」
世界ユース選手権への出場が叶わず、さらに同年代に強大なライバルがいることも知った。打ちひしがれるか、それとも、燃え上がるのか。有志は後者だった。
ジェイテクトとの不思議な縁
バスケットボールの選手だった両親譲りの精神力に加え、チャンスを引き寄せる運も持つ。高校卒業後に進んだジェイテクトとの出会いも、小さな偶然が縁をつないだ。
「同世代の息子が同じ大会に出るから」と試合会場を訪れたジェイテクトのスタッフは、ドカンドカンと高い打点からパワーみなぎるスパイクを打ち付ける少年に度肝を抜かれた。海星高は全くのノーマークだったが、「すぐに見たほうがいい」とチーム内で動画を共有した。
西田家としても偶然が重なった。6歳上の兄が、たまたまジェイテクトで働いていたのだ。バレーボール部があることすら知らなかったが、有志の将来性を高く評価し、「高校卒業後に来てほしい」と熱心な誘いを送られるうち、選手として成長するには最適の環境であるようにも感じられた。
何より、その誘いに突き動かされたのは、他ならぬ有志だった。