甲子園の風BACK NUMBER
仙台育英“じつはドン底だった”今の世代…主将の胸中「イライラすることが多く」甲子園で優勝、準優勝…最強メンバー“1つ下”の苦悩
text by
菊地高弘Takahiro Kikuchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/06/09 06:00
夏の甲子園で優勝、準優勝、そして…仙台育英の今
「桜翼は自分のなかで抱え込むタイプなんです。周りの評価を気にしてしまうところもあって、人に対してあまり物を言えずに苦しかっただろうと思います」
センバツ出場は消えて…長い冬
甲子園決勝から1カ月足らずの9月20日、宮城大会準々決勝で東陵に1対2で敗れ、仙台育英の短い秋が終わった。戦った公式戦はわずか5試合。当然、春のセンバツ出場は露と消えた。
長い冬の時期を過ごし、雪解けの季節を迎えても受難は続いた。須江航監督が「絶対的なエースになれる」と期待していた右投手の佐々木広太郎が、3月末に死球を右手中指に受けて骨折。離脱を余儀なくされたのだ。
佐々木は悔しそうな表情で打ち明ける。
「3年間で一番いい状態で、ピッチャーとして総合的にレベルアップできている実感がありました。球速(最速145キロ)もこれから上がっていくんだろうな……と思っていた矢先のケガだったので、悔しかったですね」
だが、落ちるところまで落ちてしまえば、あとは上がるしかない。
怪物・山口廉王の台頭
チームとして光が差したのは、大型右腕・山口廉王の台頭だった。身長193センチ、体重95キロの大器は、最速150キロを計測して、プロスカウトも熱視線を送る存在へとのし上がっていく。
そして、主将として悩み続けてきた湯浅も周囲のサポートを受けて、上昇気流へと乗っていった。湯浅は「登藤がみんなの前に出て自分の代わりに話をしてくれたりして、本当に助かっています」と感謝を口にする。
登藤自身は「本当は人前に立って何かをするのは苦手です」と打ち明ける。それでも、苦しんできた湯浅を何としても助けたかった。
「桜翼とは『ふたりで頑張っていこう』と話してきたので。役職についていない自分だからこそ、客観的にどう見えるかという話をして、カバーできると思ったんです」