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甲子園の風BACK NUMBER
大谷翔平、監督の目を盗み“サク超え連発”伝説…花巻東同級生が明かす「高校通算56本塁打」の本気を見た日「引っ張れば200本でも打てた」
posted2024/06/10 11:01
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph by
Sankei Shimbun
エンゼルスからドジャースに移籍し、今季も活躍を見せる大谷翔平。その姿を日本から友人として見守る元チームメイトがいる。花巻東の同級生・山根大幸さんだ。甲子園を目指した高校時代について振り返ってもらった。(全2回の第1回/後編も配信中)
入学したら一人だけでかい奴がいた
「一関リトルシニアから凄いやつがくる」
入学前から噂は聞いていた。今は日本生命保険相互会社に勤める山根大幸さんは、花巻東(岩手)で同級生となった大谷翔平を初めて見た時の驚きを、今でも鮮明に覚えている。
「僕は中学で軟式出身だったので知りませんでしたが、翔平はシニアの中でかなり有名だったらしいです。それで、入学したら一人だけでかい奴がいたので『あいつなんだろうな』と。とにかく細くて、ヒョロヒョロというか、そんな感じの第一印象でした」
同級生とはレベルが違う
2010年の高校入学時で身長170センチ後半あった山根さんですら「見上げました」というほど。大谷は15歳にして190センチ近かったが、体重は66キロしかなく、「あれだけ細くて体が大きいと、ボールを扱うのは難しいだろう」と思ったという。ただ、その推測は、すぐ間違いだったことに気づかされる。
「体が柔らかくて、凄く綺麗なボールを投げますし、打つのもスイングスピードが速くて、同級生とはレベルが違うと思いました」
打者・大谷の凄さ
すでに140キロを超える直球を投げていたが、佐々木洋監督は、まだ成長過程の大谷に対して肩肘を酷使しないよう、3年をかけてじっくりと育てる方針を掲げ、1年春は投手ではなく外野手として公式戦に起用していた。高校で内野手から投手に転向した山根さんは、「打者・大谷翔平」に凄みを感じていた。