「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「ビール買うてきたで! あっ…」鬼の指揮官・広岡達朗にバレても飲酒を続け…伝説のヤクルト初優勝“代打の切り札”はなぜ広岡に信頼されたのか?
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byKYODO
posted2024/06/07 11:01
現役晩年に近鉄からヤクルトへ移籍し、代打の切り札として初優勝に貢献した伊勢孝夫。勝負強いバッティングで「伊勢大明神」と称された
この頃、サードには同じくベテランの船田和英がおり、若手の角富士夫も頭角を現しつつあった。スワローズが日本一に輝いた78年、角が台頭し、レギュラーとしてのきっかけをつかむことになる。伊勢は続ける。
「それで、広岡さんからは“代打でいいか?”って聞かれたので、“しんどいから、代打がいいです”って答えましたね(笑)」
敬意と親しみ――伊勢と広岡の「奇妙な関係」
この年、伊勢は代打の切り札として印象的な一打を何本も放っている。若松、大杉、杉浦、さらにはチャーリー・マニエル、デーブ・ヒルトンが並ぶ超強力打線において、右の代打には伊勢が、左の代打には同じくベテランの福富邦夫が並ぶ。ベンチに控える伊勢の存在は相手投手陣にも心理的プレッシャーを与えることになった。
「でもね、広岡さんは意地が悪い。ワシはシュートが大嫌い。なのに、平松(政次・大洋)とか、西本(聖・巨人)とかシュートピッチャーのときばかりピンチヒッターに行かされる。いつも“ぶつけられる前に打ったれ”という心境で1球目から打っていたよね」
伊勢が話す内容はいずれも、広岡に敬意を払いつつも、ある程度の対等な関係性を築いているからこそ生み出される和やかな雰囲気がよく伝わってくる。明らかに、パ・リーグから移籍してきた大ベテランと広岡との関係性は、これまで本連載において聞いてきた生え抜きのスター選手たちとは、またひと味違うものだった。伊勢と広岡との関係について、さらに掘り下げていきたい――。
<伊勢孝夫編第2回/連載第30回に続く>