「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「ビール買うてきたで! あっ…」鬼の指揮官・広岡達朗にバレても飲酒を続け…伝説のヤクルト初優勝“代打の切り札”はなぜ広岡に信頼されたのか?
posted2024/06/07 11:01
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
KYODO
広岡達朗の目を盗み「やかんにウイスキーと氷を…」
インタビューの最初に「スワローズ時代の広岡達朗監督について伺いたい」と告げると、「面白い話があるんですよ……」と、伊勢孝夫は饒舌に切り出した。
「ワシがヤクルトに移籍するまでは広岡さんとの接点はまったくなかったんだけど、あの人にはずいぶんとかわいがってもらいましたよ。広岡さんの時代は酒がダメでね。でも、キャンプのときなんか鍋料理ばかりでしょ。それなら、酒、吞まなやってられないでしょう。だから、水を入れる大きなやかんにウイスキーと氷をドバドバ入れて、中が透けないように湯呑茶碗でそれを呑んでね。他にも、酒にまつわる話ならナンボでもありますよ(笑)」
本人は「決して管理などしていない」と否定しているものの、一般的に「管理野球」と称される広岡監督時代のエピソードを尋ねていると、「いかに広岡さんの目を盗んで酒を呑んだか」という話がしばしば披露される。これまで、本連載においても若松勉や井原慎一朗からも同様のエピソードが紹介されてきた。伊勢の話は続く。
「……で、ワシのテーブルには酒があるということが広まると、あくる日からはヤクルトの酒呑みばかりが集まるようになってね。まずは若松でしょ、そして杉浦(享)、それに石岡(康三)さんもいたかな? みんなで水を飲んでるフリしながら鍋をつつくんだけど、まぁ、周りからは酒を呑んでるのはバレていただろうね」
「伊勢さん、マズいよ。(ビールの)段ボール丸見えだよ」
1976年オフ、近鉄バファローズからヤクルトスワローズに移籍した。後述するが、当時の西本幸雄監督が「それまでのバファローズ色を一掃しようと考えたから」と伊勢は語る。彼と酒にまつわる話は、なおも続く。