近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
野茂英雄のドジャース「トルネード旋風」を近鉄の同僚投手はどう見た?「自分は絶対通用せえへん」野茂に次ぐ“エース”がメジャーを目指さなかったワケ
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2024/06/02 11:02
メジャー挑戦1年目から好成績を挙げ、フィーバーを巻き起こしたドジャース・野茂英雄。その姿を近鉄投手たちはどう見ていたか
プロ野球界として、育成のすそ野を拡大するという大きな意義を持ち、地域振興の起爆剤としての期待も高い新球団の誕生だった。静岡出身の赤堀にとって「静岡に関われる、それも最初に関われるというのは、すごく光栄なこと」。ミッションは当然違うが、野茂が“何もないところ”から新たな挑戦に踏み出したときの思いと、どこか重なるところがある。
「一からやる、ってことは、凄いなって思いますよ。この監督の仕事は、自分の力だけではできません。だけど、野茂さんは自分の力で切り拓いたじゃないですか。だから、僕とは全く別の次元の問題だと思っています」
単なる先駆者じゃない
まさに“道なき道”を、自らの力でこじ開けていった野茂の姿を間近に見ていた男たちの言葉は、29年という長い月日が経っても、どこかしら“熱さ”が残っていた。
「凄いと思うよ。ホント、凄いよ、アイツ。『日本人なんか通用するのか?』みたいな感じのところで行ったわけやから、それを完全に覆したでしょ。しかも英語をペラペラ喋れる感じでもないし、そして、一人でやん。だから凄いと思うわな」(山崎)
「先駆者って言いますけど、それ以上だと思うんです。すべてが、絶対に変わっていますよね。だから今、これだけいっぱい、メジャーに行く日本人が出てきているわけじゃないですか。単なる先駆者じゃないですね。全然違いますね、ホントに」(赤堀)
2人の思いに、私もうなずくばかりだった。脳裏に浮かんだのは1995年夏、異国の地で奮闘していた野茂の姿だった。<つづく>