近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
野茂英雄のドジャース「トルネード旋風」を近鉄の同僚投手はどう見た?「自分は絶対通用せえへん」野茂に次ぐ“エース”がメジャーを目指さなかったワケ
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2024/06/02 11:02
メジャー挑戦1年目から好成績を挙げ、フィーバーを巻き起こしたドジャース・野茂英雄。その姿を近鉄投手たちはどう見ていたか
向こうに行っても難しいのかな
日米野球での直接対決を通し、メジャーへの憧れがさらに強くなった野茂に対し、赤堀は逆に「向こうに行っても難しいのかな、って思ってしまった部分があったんです」という。
「ボールがどうのこうの、ってあったでしょ。僕、ボールを触った瞬間に、めっちゃ滑ったんです。僕、手が乾燥しちゃうんで、自分の思ったところに投げられないんじゃないか、というのが頭の中に入っちゃったんです。日米対抗のときに投げたボールは自分の感覚と違って『僕にはメジャーは無理、こっちで頑張ろう』と思ったんです。でも野茂さんは多分、その辺はあまり気にしてなかったんじゃないですかね」
赤堀が語る野茂の本当の凄さ
1992年の赤堀は1試合・2回を投げただけ。1996年、野茂が全米オールスターズの一員として凱旋した際、赤堀は再び全日本メンバーに入っているが、4試合計5イニングを投げ被安打7の2失点、防御率3・60と、平凡な数字が並んでいるのは、どうもメジャー球の影響だったようだ。
その“ボールの違い”は、WBCをはじめとした国際大会が開催されるたびに問題になる“不変のギャップ”でもある。また、英語力や生活面の問題も絡んでくると、いざメジャー挑戦と考えたところで、何かと躊躇してしまいがちだ。
ましてや野茂の時には繰り返しになるが、全く前例がない。だから、先輩たちがどうやって、そうした諸問題をクリアしたかといったコツや情報も、世間に広まっていない。
「何も分からない状態の、何もないところでいきなり『僕はメジャーに行くから、任意引退にしてくれ』って言ったわけじゃないですか。自分の気持ち、精神というのが強い人だと思うんです。行くことも凄いけど、みんな『やっぱりどうかな?』って悩むじゃないですか。だけど信念を持って『俺は絶対に行くんだ』ってなっている。強い人だなと思う。だから僕が憧れる人なんです」
野茂さんは自分の力で切り拓いた
そう語る赤堀は、2024年から日本の二軍、ウエスタン・リーグにファーム単独チームとして初参戦している「くふうハヤテベンチャーズ静岡」の初代監督を務めている。