近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
「今日のキャッシュより、明日の夢です」年俸1億円超え→任意引退を選んだ野茂英雄26歳のメジャー挑戦 近鉄同僚投手は「絶対やってくれると思っていた」
posted2024/06/02 11:01
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Getty Images
今から29年前の1995年6月2日、メジャー初勝利を挙げた野茂英雄。古巣・近鉄の投手たちは前例なき挑戦をどのように見ていたのか。前回に引き続き、1995年1月の「渡米前夜」を近鉄担当の記者が振り返る。(第6回/初回から読む、前回はこちら)
会見前日に阪神・淡路大震災が発生
事態は不透明な中で、野茂と団野村は1月18日にそろって東京都内で会見を行った。
神戸市内を中心に、阪神地域に未曽有の大被害をもたらした阪神・淡路大震災は、その前日の17日に発生していた。当時、神戸市内に住んでいた野茂は「連絡が取れていない。自分のところも心配ですが、周りの方が心配です」と明かし、会見の最後に「被害状況が分かる方、いらっしゃらないですか?」と呼び掛けている。
私は、当時も今も神戸在住で、生まれも育ちも神戸だ。ただ、震災当日の17日は野茂関連の取材で東京にいた。両親と住んでいた実家は幸いにもほとんど被害がなかったが、野茂と同じく、電話連絡は取れなくなっていた。
会社からの指示で野茂関連の取材を急きょ切り上げ、私が神戸に戻ったのは同21日。電車も高速道路も不通で、最も神戸に近いところまで通っていた阪急電車でも、西宮市の「西宮北口駅」までしか行けなかった。
そこから神戸市内の自宅まで、およそ4時間かけて歩いて帰った。その途中に野茂が住んでいたマンションも、はっきりと見えた。ちなみにそのマンションは、あれから29年が過ぎた今も、当時のたたずまいと全く変わっていないことを付記しておきたい。
長期的な視点での球団選び
本題に戻そう。団野村は会見で、今後への“明るい展望”を強調した。