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あの江夏豊が絶賛「最後の300勝投手」鈴木啓示とは何者だったのか?「バケモンかいな」低迷の3年を経て…怪物の逆襲がはじまった日 

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太田俊明

太田俊明Toshiaki Ota

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posted2024/05/26 06:00

あの江夏豊が絶賛「最後の300勝投手」鈴木啓示とは何者だったのか?「バケモンかいな」低迷の3年を経て…怪物の逆襲がはじまった日<Number Web> photograph by KYODO

「最後の300勝投手」鈴木啓示とは何者だったのか?

 鈴木が3年、江夏が2年のときに初めて試合で投げ合うと、延長15回で鈴木が27奪三振、江夏が15奪三振。5番打者だった江夏は5打数5三振、4番打者も5打数5三振。バットにかすりもしなかったという。(『ベースボールマガジン』2023年2月号)

「鈴木という投手をはじめて見たとたん、高校生でこんなヤツがおるんか?と驚きました。上には上がいることを教えてくれたのが鈴木だったんです。(中略)真っすぐが速かった。しかもカーブというボールをもっている。鈴木ほど大きなカーブを投げるピッチャーは、私が見たなかにはいなかった。バケモンかいなって思ったのが第一印象です」(『エースの資格』PHP新書/江夏豊著)

江夏と同時代に活躍…「2人の違い」

 1966年のプロ入り後、鈴木は2年目から、江夏は1年目から、同じ時期の6年間をセ・パそれぞれに分かれて奪三振王に君臨するなど活躍したが、江夏が途中からクローザーに転向したのに対して、鈴木は最後まで先発完投にこだわった。

 鈴木が記録に残る大投手になれたのは、力の投球が通用しなくなって成績が急降下した1972年からの低迷の3年間を経て、1974年に就任した西本幸雄監督の指導により直球主体の投球から、制球と配球を重視する頭脳派への変身に成功したのが大きい。

 鈴木の通算成績上の最大の特徴は、被本塁打数と無四球試合それぞれの日本記録を持っていることだろう。普通、低めへの制球力があれば、それほど本塁打を打たれないはずだが、若かった頃の鈴木は、細かいコントロールがなく、打てるものなら打ってみろと、渾身のストレートをストライクゾーンに投げ込む投球スタイルだった。

【次ページ】 怪物の逆襲がはじまった日

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