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あの江夏豊が絶賛「最後の300勝投手」鈴木啓示とは何者だったのか?「バケモンかいな」低迷の3年を経て…怪物の逆襲がはじまった日
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph byKYODO
posted2024/05/26 06:00
「最後の300勝投手」鈴木啓示とは何者だったのか?
怪物の逆襲がはじまった日
「阪急で山田久志らを育てて黄金時代を築いた西本は、『俺のストレートが打たれたのならしゃあない、そんなピッチングは困る。遅くてもいいから打たれない球を投げてくれ』、『力はいらん。勝てるピッチングをしてくれ』それを言い続けた。最初は反発していた鈴木も、これだけ繰り返すのは俺のことを思ってくれているからだと思った。やってみようと気持ちが変わった。(中略)軸をぶらさず、コントロールを重視するため、ノーワインドアップからゆったりしたモーションで足を上げてリリースし、静から動のイメージで、できるだけ無駄な力を入れず、リリースの瞬間にピュッと力を入れるように変えた。アウトローへの制球がよくなり、打者を簡単に打ち取れるようになった」(『ベースボールマガジン』2022年8月号)
低迷していた鈴木の成績は、西本監督就任2年目の75年からV字回復して、この年勝率.786でリーグ最高勝率を記録。勢いに乗って77年、78年と最多勝、最多完投、最多完封。特に78年は、他に最多奪三振、最優秀防御率、WHIPも1位となり、プロ入り13年目にして鈴木のベストシーズンとなった。
では、パ・リーグの奪三振王だった頃の鈴木のストレートはどのくらい速かったのか。スピードガンがなかった時代、日刊スポーツの金子勝美カメラマンは、1秒で48コマ写るドイツ製のアイモ(連続写真)改造機を使用して、ボールが投手の手を離れてから捕手のミットに収まるまでコマ数を数えて、そこから投手の球速を割り出した。この手法で測定した投手の中で、パ・リーグの最速が鈴木の157キロ(初速に換算)、セ・リーグは江夏で161キロだったという。(『牙―江夏豊とその時代』埼玉福祉会/後藤正治著)