- #1
- #2
サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
SNSで批判されても「オレらはファミリーだぞ!」…なぜ日本代表の伝統「選手ミーティング」はスマホ世代の心にも刺さるか〈五輪予選ウラ話〉
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph byYosuke Osada/AFLO
posted2024/05/19 17:02
U-23アジアカップを手にする山本理仁と藤田譲瑠チマ。「選手ミーティング」が今回も効力を発揮したようだ
「オリンピックになったらオーバーエイジもあるし、(登録メンバーの)人数も絞られるし、この23人でやるのはこれが最後。自分たちでもっと一丸となってチームで戦おうっていうところと、思い切ってやろうっていうところが(ミーティング内容の)すべてだったかなと思います」(川﨑颯太)
結果的に準々決勝で地元カタールを下し、最大のヤマ場を乗り切った日本は、続く準決勝でイラクにも勝利し、パリ行きのチケットを獲得。イラク戦で貴重な追加点を決めた荒木遼太郎は、「韓国戦に負けてからさらに一体感が出たと思いますし、それがこの結果に出ているのかなって思います」と振り返った。
谷口彰悟からの“提案”を受けて実施した
しかしながら、少々意地の悪い見方をすれば、そこでは「またか」の思いがなくはない。年代別代表も含め、日本代表を長く取材していると、選手ミーティングにまつわる“ちょっといい話”に出くわす機会が少なくないからだ。
選手側が積極的に発信するというより、取材する側がこの手の“美談”に食いつきやすいから、という事情もあるだろうが、それにしても、だ。
そもそも、韓国戦の後に選手ミーティングが開かれたのも、「彰悟くんからもらった案」(藤田)だという。現在カタールのアル・ラヤンに所属する谷口彰悟が“陣中見舞い”に訪れた際、A代表での経験を話したことが引き金となっているのだから、選手ミーティングは文字通り、代々受け継がれている日本代表の伝統と言ってもいいのだろう。
なぜ「選手ミーティング」が重要イベントとなったか
それにしても、なぜ日本代表の歴史において、これほどまでに選手ミーティングが重要な役割を果たすようになったのか。
その始まりを探るのは難しいが、大きな注目を集めたという意味で言えば、初めて開かれた選手ミーティングは、2005年5月31日のことになるのだろう。
誰が呼んだか、「アブダビの夜」として知られる出来事である。
当時の日本代表は、ワールドカップ最終予選の真っ只中。2005年3月のイラン戦(アウェー)に敗れると、直後のバーレーン戦(ホーム)にはどうにか勝利したものの、5月に行われたキリンカップでペルーとUAEに連敗を喫し、チーム内には少なからず不信感が芽生え始めていた。
そんな折、バーレーン戦(アウェー)、北朝鮮戦(アウェー扱いではあったが、中立地のタイ・バンコクで開催)を目前に控え、UAE・アブダビでキャンプを行っていた日本代表は、選手だけでのミーティングを開いたのである。
呼びかけたのは当時の日本代表キャプテンにして、現在は日本サッカー協会会長を務める、宮本恒靖だった。