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亡き父との約束から9年…柔道・斉藤立の母が明かす、思春期の息子を“立派な柔道家”に育て上げるまで「兄弟ゲンカの仲裁に包丁を持つことも…」 

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石井宏美

石井宏美Hiromi Ishii

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photograph byJIJI PRESS

posted2024/05/16 11:02

亡き父との約束から9年…柔道・斉藤立の母が明かす、思春期の息子を“立派な柔道家”に育て上げるまで「兄弟ゲンカの仲裁に包丁を持つことも…」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2022年全日本柔道で初優勝を果たし、母・三恵子さん(右)との記念撮影で笑顔を見せる斉藤立

 当時、三恵子さんは病院と自宅を行き来する目まぐるしい日々を送っていた。徐々に仁さんの病状が悪化し、「昨日できていたことが今日できなくなっている」ことが増えていくなか、息子たちを遠征や合宿に行かせるかどうか、何度も躊躇ったという。

 だが、「ここで行かせなかったとしても、主人は喜ばない」と三恵子さんは2人を稽古へと向かわせた。

「看護師さんに『覚悟されてください』と言われた日も、主人に『稽古休ませようか?』と聞いたんです。そしたら息子たちに『稽古、行け』と一言。結局、それが最後の言葉になってしまいました」

 仁さんの意識が次第に薄れゆく中、三恵子さんは仁さんに2人の子どもたちを「立派な柔道家に育てるから安心して」と強く誓った。その言葉が届いたのか、仁さんの目からは涙がこぼれていた。

 身近な人を亡くすという経験のなかった斉藤からすれば、まだ事態をうまく飲み込めていなかったのかもしれない。それでも、父と最後の約束をした。

「私は覚えていないんですけど、耳は最後まで聞こえているよと伝えると、『絶対オリンピックに出る選手になるから。俺、金メダル獲るから』と約束したみたいで」

 2015年1月20日。仁さんは54歳という若さで、静かに息を引き取った。斉藤が中学1年の冬のことだった。

“父親役”も担った母の覚悟

 仁さんにかわって父親役も担うことになった三恵子さんが大切にしたのは、息子たちを甘やかしすぎないことだ。

「真似はできても、私は絶対に主人の代わりにはなれない。ただ、『嘘をついてはいけない』とか『弱いものいじめをしてはいけない』とか、主人が口うるさく言っていたことは同じように言い聞かせていました。

 今はすごく仲がいいのですが、兄と立が半年ぐらい口を利かない時期があって。私もその時はすごく悩みましたね。お互いライバル心を持っていたので喧嘩も激しかったんです。『いい加減にしないと、警察に電話するよ』と言ってみたり、私も包丁を持って仲裁に入ったり、そんなことがしょっちゅうありましたね。こんな時主人がいたら、『おい、お前ら』の一言で終わっていたのにと思うことも何度ありました」

 仁さんが亡くなった後、三恵子さんの目からみても、斉藤の柔道への向き合い方は明らかに変化していったという。

【次ページ】 「朝練もサボらずに、最後まで稽古に残り…」

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