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亡き父との約束から9年…柔道・斉藤立の母が明かす、思春期の息子を“立派な柔道家”に育て上げるまで「兄弟ゲンカの仲裁に包丁を持つことも…」
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byJIJI PRESS
posted2024/05/16 11:02
2022年全日本柔道で初優勝を果たし、母・三恵子さん(右)との記念撮影で笑顔を見せる斉藤立
「強くなりたい、そのためにはどうしたらいいのかをすごく考えるようになりました。朝練もサボらずに行き、最後まで残って稽古するようになりました。実は立は主人と全中(全国中学校柔道大会)で優勝することも約束していたらしいんです。その約束が実現できたときに初めて(仁さんの母校でもある)国士舘高校に行く資格ができるんだと思っていたみたいで。だから、中学時代は“全中制覇”という目標に邁進していました」
実は、仁さんは斉藤を国士舘中学に進学させることを視野に入れていた。だが、小学生の頃はすごく甘えん坊で母にべったりで、何かあれば母親を探すような子どもだったことで、三恵子さんは「立にはまだ早いし、とてもじゃないけど(親元を離れるのは)無理」と判断。仁さんには内緒で国士舘中学柔道部監督の川野成道氏にうまく断りを入れていたのだという。
だからこそ、そんな斉藤が高校では「強い人が多くいる東京でやりたい」と自ら上京することを決断した時、感慨深いものがあった。
「親子で五輪代表」は柔道界初の快挙
あれから9年。幼かった息子も、この春には国士舘大学を卒業して社会人となった。
「これからは本当に自分の力でやっていくんだって思うと嬉しいような、寂しいような気持ちですね。小さい頃はあんなに『お母さん大好き』って言っていたのに、上京して一度もホームシックになったことがなかったって言うんですよ。心配していろいろ聞くと、『俺はもう社会人やで。大人やで』という始末です(笑)」
昨年8月にはパリ五輪代表が内定した。親子で五輪代表となるのは日本柔道界で初の出来事となる。
仁さんは怪我と戦う苦悩の日々からも、強靭な精神力で復活し、世界の頂点に立った日本柔道界のレジェンド。同じ重量超級ゆえに、そんな父とこれまでも何かと比較されることも多かった。
父をリスペクトしながらも、息子には自分の道を進んで欲しい。三恵子さんはそう願う。
「もちろん主人が残したものは大きいし、私も尊敬していますが、全く別のものだと思っていて。主人の生きざまや柔道に対する向き合い方に、立が自分のエッセンスを加えて、“立ブレンド”、自分の道を作って欲しいなと思うんです。周りの方々からいろいろ言われることもあると思いますが、それすらも飲みこんで、超越して、進むべき道を進む、それだけを考えてほしいですね。きっと、比べられるのは主人だって嫌だと思うんですよ。絶対に『立は立だ』と言っているはずです」