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「猪木は汚い。なんでボクシングをやらない」“屈辱の敗戦”直前、アントニオ猪木の身体は壊された…“死の強行軍”と呼ばれたヨーロッパ遠征の真実
text by
小佐野景浩Kagehiro Osano
photograph by東京スポーツ新聞社
posted2024/05/17 11:03
1978年11月23日、ヘーシンクの“ドタキャン騒動”により急遽対戦となった猪木とルスカ
「ディートリッヒにも身体をボロボロにされたね。ボックより、もっと凄かったよ。組んだ途端にスパーンって投げられちゃうんだから。試合中は絶対に笑顔を見せない猪木さんが苦笑いしたからね。それで“チクショー!”って突っ込んでいくんだけど、またスパーンと投げられるし」
「あのボックが委縮するぐらいの現地の英雄だったから。“ディートリッヒは凄いよ。長丁場なら俺の方が若いから勝てるけど、3分とか5分という短い時間でやれと言われたら、俺でも敵わない”とボックが言ってた。たぶん、ミルデンバーガーとかディートリッヒなんかはボックが猪木さんの実力を判断するために当てたんだと思うよ」
劣悪なリング「不安があったんじゃないのかな…」
その他の対戦相手も強豪が揃っていた。ジャック・デ・ラサルテス(レネ・ラサルテス)はすでに50歳になっていたが、65~69年のハノーバー・トーナメントで5連覇を達成し、“欧州の鉄人”と呼ばれたレスラー。70年7月、国際プロレスに一度だけ来日し、サンダー杉山のIWA世界ヘビー級王座に挑戦している。
オーストリアで対戦したオイゲン・ウィスバーガーはメルボルン、ローマ、東京と3大会回連続でオリンピックに出場したアマレスの猛者。オットー・ワンツは後にアメリカへ進出して、AWA世界ヘビー級王者になっている。
ベルギーで対戦したチャールズ・ベルハーストは、ジョニー・ロンドスの名前で新日本の常連だったレスラー。一説にロンドスはカール・ゴッチの命を受け、猪木のポリスマンとしてこのツアーに参加したと言われるが、新間氏は「そんなことはないよ」と一笑に付した。
さらにツアー終盤には、スイス山岳レスリング「シュヴィンゲン」(日本では「スイス相撲」とも呼ばれる現地の伝統格闘技)のチャンピオンであるルドルフ・ハンスバーガーとエキシビションマッチを行っている。
果たして、こうした過酷な試合の連続、しかも慣れないラウンド制を猪木はどう戦ったのだろうか?
「格闘技戦で経験はしていたけど、確かに“やりにくい”と言っていたよ。でも、1週間ぐらいやったら慣れちゃったみたいだけど。要するにラウンド制だと試合が途切れちゃうんで、どこにヒートアップするところを持っていくのかが難しいみたいだったね」
勝敗だけでなく、試合のヤマ場の持っていき方まで考えていたのは、いかにも猪木らしい。
また、「あとはリングが硬いから、あまり投げ技を受けると身体を痛めるという不安があったんじゃないのかな。要するにクッションとかがなくて、選手のダメージを考えているようなリングじゃなかった」というから、各地で現地調達されるリングのコンディションはかなりひどかったようだ。