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「猪木は汚い。なんでボクシングをやらない」“屈辱の敗戦”直前、アントニオ猪木の身体は壊された…“死の強行軍”と呼ばれたヨーロッパ遠征の真実 

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小佐野景浩

小佐野景浩Kagehiro Osano

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photograph by東京スポーツ新聞社

posted2024/05/17 11:03

「猪木は汚い。なんでボクシングをやらない」“屈辱の敗戦”直前、アントニオ猪木の身体は壊された…“死の強行軍”と呼ばれたヨーロッパ遠征の真実<Number Web> photograph by 東京スポーツ新聞社

1978年11月23日、ヘーシンクの“ドタキャン騒動”により急遽対戦となった猪木とルスカ

試合当日に起きた“ドタキャン事件”

 11月23日のオランダ・ロッテルダム大会では、思わぬハプニングが起きている。64年東京五輪の柔道金メダリストとして鳴り物入りでプロレスに転向し、全日本プロレスに上がって話題を集めたアントン・ヘーシンクが出場する予定だったが、なんとドタキャン。猪木との一騎打ちが現地で大々的に宣伝されていたが、当日になって会場に現れなかったのだ。

 これに怒ったルスカが「同じオランダの柔道家として、俺が代わりに猪木とやってやる」と名乗りを上げて事なきを得たが、そこには複雑な事情があったようだ。

「たぶん、ヘーシンクは馬場さんと連絡を取ったと思うんだよ。それで日本テレビから、“何でそんなところに出るんだ!”とストップがかかったんじゃないかな。ヘーシンクは出るつもりだったと思うよ。結構、いいギャラを提示したというから」

「それとツアーに入る前に、ちょっとした事件があったんだよ。主催者側から“試合に火が点くようなことを喋ってくれ”と言われていたらしいんだけど、そうしたらヘーシンクが“プロレスは約束事がある。真の実力の問題ではない”というようなことを言い出したんで、ルスカが怒ってね。“自分がしてきたことをあたかもショーまがいなものだと言ったヘーシンクは、先輩でも許せない。このツアーに参加するなら、俺が相手をして1分で倒してやる!”となっちゃったらしいのよ。そんなこともドタキャンの一因だったかもしれないね」

猪木を救ったのは、当時の夫人・倍賞美津子だった

 そんな怪我あり、ハプニングありのサーキットで猪木を元気づけたのは途中から合流した当時の夫人・倍賞美津子さんの存在だった。

「奥さんが来たら、猪木さんも元気百倍になっちゃって。現地に行ってから試合が増えたりしたんだけど、増えた分のギャラはキャッシュでもらったんで奥さんに渡したら、“じゃあ、私がマネージャーをやって、いろいろな経費を出すわよ”と楽しんでやってくれてね。奥さんは周りを明るくする名人だった。あれは天性のものですよ。奥さんがいることで、猪木さんも随分と救われたと思う。でも、その奥さんが見ている前で壊されちゃったんだよねえ……」

《第3回に続く》

#3に続く
「実際、ボロボロ。右肩をぶっ壊され…」アントニオ猪木が屈辱の敗北…“シュツットガルトの惨劇”を経て、ローラン・ボックがイノキに感謝した真相

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