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格闘技PRESSBACK NUMBER
「あの人は不格好なんだよ。でも…」武藤敬司61歳が明かす25年前、天龍源一郎とのベストバウト「武骨で、へそ曲がりな部分が天龍さんの魅力」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byShigeki Yamamoto
posted2024/05/19 11:03
武藤敬司(61歳)が25年前の天龍源一郎とのベストバウトを語った
「俺だって若いころは間なんて大切にしてなかった。運動能力には自信があって、アメリカでもそういうところを求められてどんどん出していって。でも膝を痛めたり年齢を重ねたりして、どんどん技がなくなっていった。それなのにどんどん試合が長くなる。足4の字ができたときから必然的に長くなる新しい俺流の戦い方が始まったわけだけど、技術、経験、それに才能だってあると思うよ。ただあの試合は25分だっけ。振り返ってみるとあの天龍さんとの戦いがあって、もっと試合時間が長くても表現できるって思えたのかもしれないな」
間と言っても、間延びではない。ゆったりのリズムもあれば、一気呵成のリズムもあって、それは組曲のごとく。武藤にしては珍しかったのが“張り合い”だ。天龍が繰り出す逆水平チョップに対して胸へのエルボーを繰り返している。
「一発食らっても俺はお返ししないから。みんなやるし、いかにも日本のプロレスっぽいじゃん。そういうバトルになるのは嫌だし、そもそも意地を張ることが俺は嫌なんだよ(笑)。ただ天龍さんの打撃は痛いんだよな。逆水平も、(グー)パンチも、キックも」
無意識に出たお返しのエルボー。自分のペースを崩していないと思いきや、知らず知らずのうちに天龍の土俵にも引きずり込まれていた。
足4の字、低空ドロップキック、ドラゴンスクリューと足に狙いを定めたプロセスを経て、最後は再び低空ドロップキックをひざに見舞ってからムーンサルトプレスで自分のひざを天龍の顔面に浴びせて3カウントを奪った。
意外にも、プロレス大賞の年間ベストバウトは初めての受賞だった。この年は2度目のMVPにも輝き、2冠を達成している。
「プロレス団体っていっぱいあって、きょうだってどこかで興行をやっているわけでしょ。当時はもっと団体があったし、毎日、それも1団体7~10試合くらいはやっていたと考えると1年で凄い数の試合になる。ベストバウトはそのなかで1番なんだから、光栄に決まってるよ。1995年に東京ドームでやった高田延彦戦ですら選ばれていないんだから。あれは納得いってないけどさ(笑)。まあまあ、ファンが期待する以上のものを超えていかないとベストバウトっていうのは取れないんだよ」
「武骨極まりないあの人は、不格好なんだよ」
天龍との邂逅は、じっくり、たっぷりの“武藤ワールド”が確立された実感を得ることになった。そして以降も緊張感ある2人の関係性が続いていくことになる。大量退団で危機にあった全日本に天龍が復帰すると、武藤も主軸を全日本に移してのちに社長に就任。2002年までに3冠ヘビー級タイトルを懸けて2度対戦している(グレート・ムタでも1度)。