- #1
- #2
格闘技PRESSBACK NUMBER
「しゃらくせえ!アイツは生意気な野郎だ」天龍源一郎74歳が語る25年前、武藤敬司とのベストバウト…まさかの大技に「俺、無事だ、良かった」
posted2024/05/19 11:02
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Shigeki Yamamoto
36歳の天才vs.49歳の無骨な重鎮のベストバウト
プロレスとはジャズのフリーセッションのようだ。
思いのままにそれぞれが奏でながら角逐と共鳴を帯びて高め合い、観る者を引き込んでいく。ライブで極上のセッションに出会ったときにはたまらないほどの高揚感が残る。
まさにあの日がそうだった。
1999年5月3日、博多どんたくの最中とあって、そのにぎわいが会場の福岡国際センターにも押し寄せていた。nWoジャパンのボスとなったIWGPヘビー級チャンピオン武藤敬司が天龍源一郎を迎え撃つタイトルマッチ。脂の乗り切った36歳の天才と、49歳にして気骨あふれる重鎮の邂逅は、反発と合致のらせんが絶妙なかみ合わせとなった。新日と全日の違い、世代の違い、華麗と武骨、一方でアメリカンプロレスのにおい、間の取り方の類似……。25分を超えるプライドとプライドのぶつかりはこの年のプロレス大賞年間ベストバウトに選ばれる。
あれから25年。それぞれにとってその後のプロレス人生を変えるターニングポイントにもなったことはあまり知られていない。
筆者はあらためてこのベストバウトの深層を知るべく、天龍のもとを訪ねることにした。脊髄症・脊髄管狭窄症と診断され、昨年2月には敗血症ショックで手術を受けるなど入退院を繰り返してきたが、現在は都内の自宅で療養している。天龍プロジェクトを通して取材を申し込むと、快く引き受けてもらった。車いす生活を余儀なくされているが、歩行のリハビリにも意欲的に取り組んでいるという。
力のある目、しゃがれた張りのある声。
武藤というワードを出すと、こちらをにらみつけるような目をグイと向けた。
「覚えてるよ。カードが決まったとき、“どうしてあんなジジィとタイトルマッチやんなきゃいけないんだ”という武藤の声が風に乗って聞こえてきた。新日本のエースで、闘魂三銃士のなかでもプロレスが一番うまいっていう自負もあったんだと思うよ。ひと回り以上年上の俺とやらされることにカチンと来ていたんじゃない? でも俺はベストバウトを取るってあのとき公言したんだよ。アイツの試合を観ていても、俺との間合いが合致するだろうなっていう印象を受けたから。武藤よりキャリアも古くて、いろいろ修羅場をくぐってきた俺のほうがベストバウトだと殊勝なことを言っているのに、アイツはなんて生意気な野郎だと思ったよ」
乾いた笑いにプライドがのぞく。
「この野郎って思いながら対峙していたね」
1996年にWAR大阪大会でグレート・ムタとの一騎打ちがあるが、武藤とは初めてのタイトルマッチ(シングル対決は1998年のG1に続き2度目)。WARの活動停止からフリーに転身し、日本人レスラー初となる2大メジャーの最高峰ベルトに照準を合わせていた。その機運が高まっていたなかで挑戦が決まった。