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格闘技PRESSBACK NUMBER
「しゃらくせえ!アイツは生意気な野郎だ」天龍源一郎74歳が語る25年前、武藤敬司とのベストバウト…まさかの大技に「俺、無事だ、良かった」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byShigeki Yamamoto
posted2024/05/19 11:02
天龍源一郎(74歳)が25年前の武藤敬司とのベストバウトを語った
「いつもリングのなかでなら命を取られていいよって言ってたんだよ。でも激痛が走って、自分で自分を確かめてみて、俺、無事だ、良かったって。あのときそう思ったね」
場内にどよめきが起こった。天龍は首に痛みを覚えながらも止まることなくラリアットをぶつけてフォール。だが決まらない。スウィングしているのは、武藤とてまた同じ。足4の字でダメージを負わせておいたひざに低空ドロップキックを浴びせ、一気のムーンサルトプレスで3カウントを奪った。華麗と武骨のハイブリッドが織りなしたビンテージのセッションが幕を下ろした。
試合後もダメージを残していた。盟友の長州力と食事をともにしたが、「あまりに首が痛くなって」15分ほどで宿泊するホテルに戻った。付け人の若手とは別の滞在先だっため、首や背中に湿布も貼れず、寝ることもできなかった。翌日病院で頸椎の負傷を診断され、以降は後遺症に悩まされることにもなる。
無論、天龍に一切の後悔はない。74歳になった彼に、もう一度あの場面にタイムスリップしたらどうするかを尋ねた。
間髪を入れずに言葉の逆水平が飛んできた。
「決まってるよ。もっとやってやる」
試合を思い出して口調も熱くなる風雲昇り龍のハートがスウィングしていた。
「まだ俺はこの世界で生きていけるという自信」
実はこの試合にこれからのプロレス人生を賭けていた。天龍にとって単なるタイトルマッチなどではなかった。
「間もなく50歳で、どうなるかの境目だよ。円熟期に入るのと体力が落ちるせめぎ合いのところ。あの試合は、自分がやってきたプロレスに色づけしてボリュームができた気がした。これでまだ俺はこの世界で生きていけるという自信になった。隅に追いやられてもおかしくなかったのに、バリバリの武藤とトゥーマッチの戦いがやれて天龍源一郎が軒先に引っ掛かったんだよ」
その年の12月に武藤とのリマッチに勝利して日本人レスラーとしては初めてメジャー2団体のシングル最高峰のベルトを手にする。日本人レスラーとして唯一、ジャイアント馬場、アントニオ猪木の2大巨頭からフォール勝ちを収めた勲章に続く栄光であった。
五十路を過ぎてからも精力的だった。大量退団で危機にあった全日本に復帰し、その全日本の社長に収まる武藤とは何度も肌を合わせている。WJ、プロレスリング・ノア、ハッスル、ドラゴンゲートなど戦いの場を移し、2010年には天龍プロジェクトを発足。65歳まで現役生活をまっとうした。
まさにバリバリのオカダ・カズチカを指名した引退試合は、しゃらくせえ精神の集大成でもあった。ラストファイトが武藤戦以来、16年ぶりとなる年間ベストバウトにも選ばれている。
対戦するレスラーに向ける思いと同じ温度で観客にもぶつけていた。