酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
PL清原和博の1984年センバツは30本塁打→今年は3本…高野連“飛ばないバット採用”背景に名将・尾藤公の遺言「一番の仕事じゃないかと」
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2024/04/06 17:00
1980年代、高校野球のヒーローだったPL学園・清原和博。その当時から「金属バット」について議論されていた歴史がある
春の甲子園では導入前の1970年から74年まで=1試合の本塁打数は0.16本(134試合22本)導入後の75年から79年では0.38本(144試合54本)、夏は導入前の1970年から73年までは0.24本(134試合32本)だったのが、導入後の74年から79年では0.43本(251試合91本)になっている。
派手な打撃戦が続き、高校野球人気につながった側面も
1980年代に入ると池田高校、PL学園のように金属バットのメリットを活かす学校が出てくる。
80年 春29試14本(0.48)/夏48試19本(0.40)
81年 春29試13本(0.45)/夏48試20本(0.42)
82年 春29試7本(0.24)/夏48試32本(0.67)
83年 春31試16本(0.52)/夏48試31本(0.65)
84年 春31試30本(0.97)/夏48試47本(0.98)
85年 春31試18本(0.58)/夏48試46本(0.96)
86年 春31試19本(0.61)/夏48試25本(0.52)
87年 春31試19本(0.61)/夏48試32本(0.67)
88年 春34試18本(0.55)/夏48試36本(0.75)
89年 春32試20本(0.63)/夏48試28本(0.58)
80年から89年では1試合の本塁打数は春0.56本(308試合174本)、夏は0.66本(480試合316本)と急増した。
派手な打撃戦が続き、それが高校野球人気につながったのは間違いない。この時期から「超高校級」という言葉もよく使われるようになった。
スポーツメーカー側の視点に立てば、企業努力の一環として競技団体の規格を遵守しつつ製品の「性能向上」を目指すもの。規格内で打球部の肉厚を薄くして、ボールが当たってバットがへこむことで生じる反発力を活かしたトランポリン効果で、飛距離を伸ばす試合用バットが流通し始めた。また打球部の肉厚が薄くなったために耐久性に問題がある製品も出回った。
そこで日本高野連は84年、専門家を交えた「金属バット検討委員会」を設置し、規格の検討に入った。
90年代の消音材入りバットはどうだった?
その一方で91年には、打球時の甲高い金属音が耳に障害を与える恐れがあるとして、バットの内部に消音材を入れたバットが採用され、SG基準に加えられる。93年からこの規格のバットのみの使用となった。90年代の大会本塁打数は以下の通り。
90年 春31試25本(0.81)/夏48試39本(0.81)
91年 春32試18本(0.56)/夏48試37本(0.77)
92年 春31試7本(0.23)/夏48試14本(0.29) ※ラッキーゾーン撤去
93年 春33試11本(0.33)/夏48試21本(0.44)
94年 春31試10本(0.32)/夏48試18本(0.38)
95年 春31試18本(0.58)/夏48試13本(0.27)
96年 春31試5本(0.16)/夏48試23本(0.48)
97年 春31試7本(0.23)/夏48試28本(0.58)
98年 春35試8本(0.23)/夏55試34本(0.62)
99年 春31試7本(0.23)/夏48試21本(0.44)
1990年代に入っても本塁打は増加傾向だったが、92年に甲子園のラッキーゾーンが撤去されて一時的に減少した。またこの年から甲子園の両翼も公称91mから96mになった。甲子園の改装は、NPB球団がこの時期、本拠地球場のサイズを国際基準に合わせて大型化したことによるもので、高校野球とは関係がない。
しかし球場の大型化をものとせず、本塁打数は増えていった。