- #1
- #2
甲子園の風BACK NUMBER
「清原和博よりも桑田真澄の方が嫌だった」最強のPL学園に“秋田の雑草軍団”はどう立ち向かったのか? “40年前の金農旋風”のウラ側
text by
安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byAFLO
posted2024/03/31 06:01
高校野球界の大スターだった桑田真澄と清原和博。40年前、金足農は「KKコンビ」を擁するPL学園をあと一歩のところまで追い詰めた
金足農は逆転サヨナラ2ランスクイズを決めて近江(滋賀)を下し、準決勝進出を決めた。試合後に再び長谷川に会うと、してやったりの笑顔で種明かしをしてくれた。
「桑田がうちを準決勝に導いてくれると思ったんですよ」
準決勝の始球式で、桑田は金足農の1番打者に渾身の外角ストレートを投げ込んだ。34年前、その桑田に敗れた金足農は日大三(西東京)を下し、ついに決勝進出を果たしたのだった。
嶋崎はマスターズ甲子園でも「本気で悔しがっていた」
昨年11月11日、紫色の金足農ユニホームが5年ぶりに阪神甲子園球場の土を踏んだ。
かつての高校球児が同窓会チームを組んで聖地を目指す「マスターズ甲子園」の本大会に初出場を果たしたのだ。
「嶋崎監督を選手として甲子園に連れて行こう」を合言葉に秋田県予選を突破。75歳になった嶋崎も、背番号45を付けて出場した。
好プレーあり、エラー、暴走あり。逆転サヨナラ2ランスクイズで二塁から生還を果たした菊地彪吾が、ヒット、二塁盗塁、送球がそれたのを見て三塁を欲張ってアウトになるシーンもあった。20歳から78歳のОB・ОGが集まったベンチは、野次と笑顔があふれていた。
ただ、嶋崎だけは途中から笑顔が消えていた。試合は日大藤沢ОBチームに2-11で敗れるという一方的な展開となったからだ。
試合直後のロッカールーム。
「やっぱり人生の基本ではないか。野球であれば、ボールから目を離さない。人生であれば、自分の仕事でチャンピオンをとる、ナンバーワンになるという気持ちをもって頑張るということが大切だということ」
嶋崎の講話は約5分も続いた。
「ベンチにいるときから本気で悔しがっていたんですよ。そういうイベントじゃないのに、やっぱりユニホームを着ると、監督は負けたくないみたいです」
長谷川は首をすくめた。
そういえば、PL学園に敗れた1984年もそうだった。地元に帰ると、国体出場に備えて3年生も週3日、放課後の練習に参加した。
体を慣らす程度かと思ったら、嶋崎は「国体でPLを倒すんだ」と号令をかけ、得意のマシンガンノックを浴びせてきた。
厳しい練習でたたき上げる「雑草軍団」の精神は、時代が変わっても健在だった。
<前編から続く>