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大相撲PRESSBACK NUMBER
“相撲界から消えた天才横綱”双羽黒こと北尾光司の素顔とは?「研究熱心で教え上手」「あの“やんちゃ横綱”を絶賛」相撲愛を貫いた55年の生涯
posted2024/03/15 11:03
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph by
BUNGEISHUNJU
じつは“稽古嫌い”ではなかった双羽黒
元横綱・双羽黒の北尾光司氏が、立浪部屋のアドバイザーとして“角界復帰”を果たしたのが2003年(平成15年)9月。確執があった先代立浪(元関脇・羽黒山)はすでに、定年により角界を去っていた。部屋内のトラブルが原因で“廃業”した北尾氏だったが、相撲協会とのわだかまりなどはなく、翌2004年4月に開催された「横綱会」にも参加している。
横綱会とは、相撲協会に所属する元横綱の親方衆と現役横綱で構成された親睦会で、九州場所前に開催されるのが恒例である。昨年九州場所前には、コロナ禍を経て4年ぶりに開かれた。今からちょうど20年前の横綱会は通常の時期ではない4月に行われ、角界を離れた横綱OBたちにも特別に声が掛かり、歴代のレジェンドたちが一堂に会する超豪華版だった。理事長も務めた初代若乃花の花田勝治氏、相撲解説者に転身した北の富士勝昭氏、輪島大士氏、3代目若乃花こと花田勝氏らとともに、北尾氏も元気な姿を見せていた。
現役時代は“稽古嫌い”とも言われた第60代横綱だが、日ごろの鍛錬をないがしろにしたまま、角界の頂点に上り詰めた者などいるはずがない。若いころは入院中に落ちた筋力を取り戻すために、退院後はたっぷりと四股を踏み、一日500回が日課のスクワットもこなしながら下半身強化に努めた。また、持病の腰痛を克服するために、幕下時代には独学で太極拳をマスターするなど、研究熱心でもあった。
当時、部屋には関取がいなかったため、高砂部屋へ精力的に出向いてメキメキと力をつけていった。綱取り場所前も高砂部屋や、保志(北勝海)や千代の富士のいる九重部屋などに積極的な出稽古に赴き、その努力が実を結ぶことになる。