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大相撲PRESSBACK NUMBER
“相撲界から消えた天才横綱”双羽黒こと北尾光司の素顔とは?「研究熱心で教え上手」「あの“やんちゃ横綱”を絶賛」相撲愛を貫いた55年の生涯
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2024/03/15 11:03
1985年、当時21歳の北尾光司。現役時代は「稽古嫌いの新人類」といったイメージが定着していた
こうして1986年(昭和61年)名古屋場所後、横綱に推挙されたが、7月29日から始まった夏巡業中の8月7日に虫垂炎を患って途中リタイヤ。それでも3日間入院しただけで再合流し、巡業最大の目玉である新横綱として24日の最終日まで務め上げた。その後は地元三重県津市に凱旋し、祝賀パレード。関係各所への挨拶回りなど多忙を極めるなかで、食当たりを起こして秋場所前に入院。9月3日の横審稽古総見では極度の腹痛を押して参加したものの、11番を取ったところでやむなく稽古を切り上げた。
「それでも稽古不足って言われるんですよ」とのちに“ぼやき節”を聞いたことがある。双羽黒と言えば“稽古嫌い”という不本意な枕詞は、最後まで付きまとった。
あの“やんちゃ横綱”に抱いていたシンパシー
角界を去ったのち、初めて参加した横綱会で遭遇した当時23歳の横綱・朝青龍には、タイプこそ違うが、ある部分ではかつての自分との共通点を見出していたのかもしれない。「他の力士も見習ってほしい」と感心しきりだった。
「あの吸収力はすごいですよ。稽古以外にも体のメンテナンスのことなんかをお酒の席でも、いろんな人にどん欲に聞いていく。だから横綱にもなれたんでしょうね」
のちに史上4位となる25回の優勝を果たす“やんちゃ横綱”が、綱を張ってまだ1年しか経過してないころだ。すでに力士の大型化が叫ばれて久しかった時代に、幕内の平均体重以下の140キロながら強敵を次々となぎ倒す“蒼き狼”の全体的な体のバランスのよさも絶賛していた。
「余計な力が入ると勝てなくなる。相撲に必要な筋肉が備わっていれば、あとは惰力だけで十分。イチロー選手なんか肩の力を完全に抜いて無駄な力をなくしているから、一点に集中した力が出せる。横綱になれば、無駄な力が抜けて相撲に必要な力だけをうまく出せるようになれますから」という語り口は、朝青龍を引き合いに出しつつ、自らの短かった横綱時代の経験を振り返るようでもあった。