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大相撲PRESSBACK NUMBER
「ちゃんこの味で言い合いに」「おかみさんを突き飛ばして失踪」優勝せずに横綱昇進、24歳で廃業…“消えた天才”北尾光司の知られざる実像
posted2024/03/15 11:02
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph by
KYODO
入門当初から「末は大関、横綱間違いなし」
この男が力士人生を最後まで余すことなく全うしていたら、昭和末期から平成にかけての相撲史も大きく変わっていたことだろう。おそらく千代の富士の優勝回数も激減し、のちに横綱となる“若貴兄弟”や曙らの出世も遅れていたかもしれない。横綱・双羽黒の志半ばにしての“廃業”はつくづく惜しまれる。
三重県津市出身の双羽黒こと北尾光司は、地元の小中学校を卒業後の1979年(昭和54年)春場所、立浪部屋から本名で初土俵を踏んだ。15歳ですでに身長195センチ、体重110キロの堂々たる体格で、入門当初から「末は大関、横綱間違いなし」と言われていた。期待通りの出世を果たすが、幕下は丸3年とやや時間を要し、その間に故障と脱走を繰り返したあたりは、のちのトラブルの前兆のような気がしなくもない。
1984年初場所で関取に昇進すると十両は4場所で通過し、同年秋場所で新入幕となった。当時21歳で199センチ、148.5キロ。2メートル近い長身ながら均整の取れた体つきで柔軟性もあって懐も深く、大器にふさわしい素質の持ち主だった。さらに、長いリーチを生かした突っ張りや、立ち合いで素早く取った左上手を引きつけながら、右の差し手を返しての寄りは、技術的にも非凡なものを持っていた。
入幕2場所目には横綱・北の湖から初顔で金星を奪ったほか、北天佑、朝潮、琴風の3大関を撃破し、8勝7敗で殊勲賞を受賞。以後、新関脇で途中休場した1985年夏場所を除き、毎場所2桁勝ち星と三賞を獲得する活躍で、新入幕からわずか所要8場所で大関に昇進した。
「身長のわりに下半身がしっかりして、膝にゆとりがある。脇も固いし、右のおっつけもいい。昔なら巨人型なのにバランスが取れてますよ」(『戦後新入幕物語 第4巻』ベースボール・マガジン社)と優勝32回の大横綱・大鵬親方も“ベタ褒め”だった。