サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「あの空気や雰囲気はオシムさんしか…」「ジュニーニョはお世辞にも模範的ではないけど」“魅力的な人物”と出会った中村憲剛のリスペクト
text by
中村憲剛Kengo Nakamura
photograph byJFA/AFLO
posted2024/03/24 11:03
日本代表時代の中村憲剛とイビチャ・オシム監督
出会ったときはすでに35歳を迎えるベテランだった彼からは、最後まで諦めない姿勢と戦い続けることの大切さを学んだ。アウグストはウイングバックを務めていたため、年齢的にも90分間、上下動を繰り返すのは容易ではなく、周りもかなりサポートしていた。
それでもジュニーニョと同じく、勝負どころを見極め、「ここぞ」という場面では必ず戻って身体を張った守備を見せていた。また、最後まで諦めない姿勢は、窮地にチームを鼓舞する行動から感じていた。僕自身も、チームが苦しいときやチームを勢いづかせたいときに、両手を挙げてスタンドのファン・サポーターを煽ったり、手を叩いてチームメートを奮い立たせたりしていたが、それはアウグストの姿勢に影響を少なからず受けていたからだ。
彼らは、短所や欠点もあったかもしれないが、それを補って余りある長所を持っていた。自分の力を発揮する術(すべ)を誰よりも自分自身が理解していたし、そこが周りや人を惹きつけることも、彼らは知っていた。
オシムさんのミーティングはいつも独特の緊張感だった
自分だけにしかない個性や特徴、キャラクターは、魅力であり、武器になる。
それは出会った多くの指導者たちも同じだった。
なかでも、立ち居振る舞いが印象に残っているのは、イビチャ・オシムさんだ。
ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のオシムさんは、1990年代に旧ユーゴスラヴィアの内戦を経験し、一時は家族が引き離される事態に陥ったこともあるなど、僕が想像もつかない世界を見ている人だった。
そのオシムさんが日本代表監督を務めていたときの、ミーティングはいつも独特の空気と緊張感に包まれていた。
多くの監督が試合前に行うホテルなどでの事前ミーティングでは、先発するメンバーをホワイトボードに書き込む、もしくはネームプレートを貼り付けていたが、オシムさんがホワイトボードに何かを書き込むことは一度もなかった。