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中村憲剛の視点…三笘薫、板倉滉ら“欧州で高評価フロンターレ組”共通の才能とは「僕自身、オシムさんの“大好きな言葉”もそうだった」
text by
中村憲剛Kengo Nakamura
photograph byJFA/AFLO
posted2024/03/24 11:01
東京五輪世代として活動していた頃の(左から)板倉滉、田中碧、旗手怜央、三笘薫
導き出された共通点は、「傾聴力」だった。
彼らはみな、聞く耳を持っていたのだ。
過去には、自分がコミュニケーションを取ろうと歩み寄っても、耳を傾けることのないチームメートもいた。自分がプレーについて意見交換を試みようとしても、向き合おうとしてくれない選手もいた。そうした選手は、自分だけでなく、誰の言葉や提言にも本当の意味で耳を貸そうとしていなかった。
だから、自分もアドバイスを送った、または送ろうとした選手全員の成長を手助けすることができたわけではない。そこには当然、レギュラー争いもあり、ライバル意識もあったことだろう。その競争力があったからこそ、川崎フロンターレは年々強くなっていったと思う一方で、傾聴力を持っていた彼らはそうした競争を勝ち抜く力も備えていた。
傾聴力に加えて彼らに共通した“もう1つの力”とは
大島僚太、谷口彰悟、守田英正、田中碧、板倉滉、三笘薫、旗手怜央──日本代表へと上り詰めていった、かつてのチームメートに共通していたのは、傾聴力だけではない。彼らには「選択する力」もあった。
彼らは、僕が伝えたアドバイスや助言のすべてを鵜呑みにするのではなく、実際に試して、自ら取捨選択をして、自己の成長に役立てていた。
僕が思ったこと、考えたことのすべてが合っているとは限らない。僕が伝えることは、あくまで僕が見て、感じたことだからだ。その人が自分なりに考え、自分に合っているのか、もしくは自分にできるのかを判断していく。彼らにはそれができた。
また僕自身も、意見を言うだけでなく、彼らの言葉に耳を傾け、そして考えを擦り合わせていくことで、チームとしての答えを導き出し、答えにたどり着いていった。
オシム監督、風間監督もそうだった
そのような接し方をするにあたって、僕自身が大きく影響を受けたのは、日本代表で指導を受けたイビチャ・オシム監督だった。