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マンCから突然のオファー、板倉滉がベガルタ仙台を去った冬…育成強化本部長が振り返る“その後”「仙台のことを気にしてくれていた」
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byAFLO
posted2024/03/03 17:01
マンチェスター・シティから電撃オファーが舞い込み、2019年からは海外へと旅立った板倉滉。日本ラストシーズンとなったべガルタ時代を振り返る
来季に向けて、水面下では板倉の保有権を持つ川崎Fとレンタル延長の話を進め、翌年も仙台でプレーする手はずを整えていた。よもや海外からのオファーが、しかもイングランドのマンチェスター・シティから手が伸びてくるとは思いもしなかった。
「びっくりしましたよ。でも、さすがにシティからのオファーとなれば、応援するしかないと思いました」
クラブ名を知らされて、たまげました
シーズンオフにスペインへ視察に出向いていた渡邉も丹治から電話で連絡を受けたときは、事実をうまく飲み込めなかった。
「残留が既定路線と思っていたのに『滉が移籍する』と言うんですよ。『川崎に戻るんですか』と聞き返すと、クラブ名を知らされて、たまげました。シティからのレンタル先候補に挙がっているというジローナの練習見学をしていたので、冗談半分で『ここのGMと話します』と言ったくらいです」
別れの挨拶もままならず、板倉が急転直下の移籍でヨーロッパへ羽ばたいた後、翌'19年の仙台は序盤から苦しんでいた。2月23日のリーグ開幕から5戦勝ちなし。初勝利を挙げたのは、6戦目の4月6日だった。ようやく丹治も胸をなでおろしたとき、突然スマートフォンが鳴った。
「一番に連絡をくれたのは板倉でした。仙台のことを気にしてくれていたんですよ。これも彼の人間性なんでしょうね」
あのタイミングだから良かったんだな
マンチェスター・シティからレンタルに出されたフローニンゲンで出場機会をつかめず、自らも苦労していた時期である。それでも、義理を忘れないのが板倉。旧友の中野嘉大のもとにもサガン鳥栖、湘南へ移籍するときにはその都度連絡が来たという。ヨーロッパでステップアップしても、律儀な性格は変わらない。丹治は今も時々やり取りしながら、ふと出会いを思い返す。