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「コーチは獣医師、練習場所は市民プール」でも18歳で世界新記録…《北島康介2世》と呼ばれた“消えた天才スイマー”が振り返る「世界一のワケ」
text by
田坂友暁Tomoaki Tasaka
photograph byJIJI PRESS
posted2024/02/25 11:00
2012年9月に行われた国体200m平泳ぎで驚異の世界新記録(当時)をマークしたのは、まだ高校生の山口観弘だった
ジュニアオリンピックのレース後に、そうハッキリと言い切った山口は2週間後の9月15日の国体で、冒頭のようにまさに有言実行……どころか一足飛びに「世界新記録」という偉業まで成し遂げたのである。
中核国際港湾を持つ、日本としても重要な港町として発展してきた鹿児島県志布志市。ダグリ岬をはじめとする海辺の景観が美しい、のどかな街だ。そこで山口は生まれた。
先に水泳を始めていた兄・大貴の影響で4歳から泳ぎ始めた。
通い始めたスイミングクラブは志布志DCという名前で専用プールはなく、志布志市に唯一ある市民プールを借りて練習を行っていた。水深は1mほど。そんな環境のなか、山口はのびのびと育っていく。
「全然、特別な練習なんてしていないんですよ。決まった練習は週に4回。あと2回は、選手たちがみんなで自主的に集まって自分たちで泳いでいました。1回に泳ぐ距離も4000m程度だったので、練習量も多くない。だから、自分が記録を伸ばせたのは、特別な水泳の指導を受けたからというよりも、ここで人間的にすごく鍛えられたからかな、という印象があります」
地元・志布志のクラブのコーチは…本業・獣医師!
当時、志布志DCで指導をしていたのは、大脇雄三氏。水泳指導はボランティアで行っており、本職は獣医師である。大脇氏は水泳の技術的な部分は選手自身に任せ、「自分で考えて取り組め」と伝え続けた。その言葉通り、山口は常に自分で「どうすれば速くなるのか」を考え、試し、実行してきた。
「親にお願いして泳ぎをビデオで撮ってもらって、帰ってご飯を食べながらそれを見てインプットして。次の日は感じたことや試してみたいことをやる、みたいな練習の仕方でしたね。感覚は鋭いほうでしたから、泳ぎを自分で見て『ここが悪いな』と思ったところを自分で修正するのはうまかったと思います」
大脇氏が作る基礎的な練習メニューは体力のベースとなった。
それに加えて、上述のように自分で自分を客観視して、身体と対話しながら磨きあげた技術力が掛け合わさり、山口は急速に成長していった。
「あとは兄の影響も大きかったと思います。先に全国大会で優勝したのも兄でした。それを見て、僕も『兄と一緒に全国大会に行って活躍したい』と強く思うようになりました」