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「落合はそら嫌われるわ」ロッテ落合博満、三冠王のウラに“名コーチ”がいた…落合が“悩み相談”した日々「でも彼はありがとうも言わない」
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph byKYODO
posted2024/02/22 17:05
1978年ドラフト3位指名、25歳でロッテに入団した落合博満。1982年、85年、86年と三度の三冠王を獲得している
「落合は理不尽な体育会系の縦社会や管理体制が嫌いだった。弱肉強食のプロの世界で、そうしたことはありえないと思っていたんでしょうけど、そこにもやはり強固な縦社会がありました。有藤通世などとの確執が噂されますが、彼らのような選手は金さん(金田正一)の激しい鍛え方で生きてきたから、落合とは正反対の人間です。そこに管理野球なんてしない、自由でいいという稲尾監督が来たから、落合は意気投合した。野球界で初めて自分と考えの近い、理解者が見つかったと思ったんでしょう」
落合監督の“失敗”
中日でも打点王、ホームラン王などのタイトルを獲得する活躍を見せた落合。その後、巨人、日本ハムと渡り歩き、ユニフォームを脱ぐこととなった。そして、2004年シーズンに中日の監督に就任すると、徹底的な情報統制や独特な指導法などオレ流体制がまたもや注目された。そんな監督としての落合を広野はこう見ている。
「落合は『体技心』という順番で鍛える。体力をつけて、延々同じ練習を繰り返して技術を覚え、それに裏打ちされて心が鍛えられるということです。それを監督として、中日でも実施したんだと思います。間違った体の使い方であれば、どこかを痛めるから、正しい使い方になるまで徹底的にやれと。ただし、こうしろとは言わず、じっと見て選手自身に考えることを促すわけです。アライバ(荒木雅博、井端弘和)にノックを打ち続けたのも、2人がレギュラーで二遊間を組めると判断し、体で覚えさせるためでしょう。私はあの守備練習は、かつて落合自身がノックで下半身を鍛えたことと重なっていると感じました。実際、ふたりはしぶといバッターになりましたよね」
しかし、落合監督には失敗もあったと広野は指摘する。
「和田一浩(元西武、中日)のフォームをアウトステップからスクエアステップに変えたことですね。これはかつて落合がやろうとして、私が反対したこと。それを落合は和田にやらせたのです。和田の視力低下や統一球によって失敗したと言われますが、ポイントの感覚のズレに苦労したところも大きいのではないでしょうか」
「お前ら、いなかったな」落合監督は見ている
落合の監督時代を知る人物も、当時の様子を証言する。落合政権で2年間二軍ブルペンコーチなどを務めた山崎章弘(元巨人、日ハム)だ。
「落合さんはあれこれ指示しない人ですが、かなり選手を観察しています。『あいつは今日こうだった』『あいつは、あそこでこうすればよかった』と的確に言うんです。グラウンドでは落合さんの姿は見えないのに、なぜか分かるんです。不思議に思いますけど、きっとどこかで見てるんでしょう。そういえば、キャンプ中にある出来事がありました。若手が居残り練習を終え、我々コーチ陣もホテルまで帰ったことがあったんです。そしたら、後で落合さんが『お前ら、いなかったな』って。だから、いつもどこかで選手たちを見ているんですよ」
他にも山崎は監督・落合の印象的な言葉をこう振り返る。