Jをめぐる冒険BACK NUMBER
「やってらんねえ!」中村俊輔や小野伸二に焦って不満爆発…“プロ失格”と言われたストライカー北嶋秀朗の再生物語「工藤壮人に託したレイソル愛」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byToshiya Kondo
posted2024/01/19 17:01
柏レイソル時代の北嶋秀朗。2011年、クラブ史上初のリーグ優勝に貢献した
J2から再スタートを切った柏の指揮を執ったのは、“イシさん”こと石崎信弘だった。北嶋にとっては西野に続いて影響を受けた指揮官である。
「当時のレイソルはタニ(大谷秀和)をはじめとする若い選手たちと、自分も含めて外から来た選手の寄せ集めのチームだったんですけど、イシさんが部活のノリのようなマネジメントでチームを勝たせていってくれたんですよね。とにかくチームの雰囲気が良くて、笑いが絶えなかった。そういった雰囲気づくりやマネジメントの面で影響を受けています」
石崎に率いられた新生レイソルは1年でのJ1復帰を果たす。北嶋がストライカーとして大きく進化するきっかけも、この頃に訪れた。
当時、柏の攻撃の中心には、元ブラジル代表のフランサがいた。「魔法使い」と称され、華麗なパスや信じがたいゴールで観客を魅了するファンタジスタのプレーに接した北嶋は、そのテクニックよりも、いつもフリーでボールを受けていることに目を奪われた。
「それで、フランサのプレーを観察したんです。そうしたらある日、練習試合でフランサと2トップを組むことになって。そのとき、フランサと僕の受けたい場所が何回も重なった。フランサには『そこは俺が受ける場所だ』って怒られたんですけど、自分のポジショニングは正解だったんだなって。なんとなくフリーになるコツが掴めたんですよね」
その時点では感覚でしかなかったものが頭の中で整理され、再現できるようになるのは、09年シーズン終了後のことだ。
「タツさんの練習を見学したいから、繋いでくれ」
09年、工藤壮人や武富孝介ら「柏アカデミーの黄金世代」と呼ばれた下部組織出身の選手たちが昇格してきた。
「彼らと話していたら、『こういう場合はこうで、ああで』ってサッカーにめちゃくちゃ詳しいんですよ。いわゆる言語化に長けていて。なんでかって聞いたら、『アカデミーで(吉田)達磨さんからサッカーを教わった』って。サッカーを教わるって何? と思ったんですけど、彼らと話すうちに興味が出てきて、『オフにタツさんの練習を見学したいから、繋いでくれ』って工藤に頼んで」
当時、吉田に率いられた柏レイソルU-15は、ポゼッションとポジショニングを重視した攻撃的なスタイルを標榜しており、高い評価を得ていた。
09年のシーズンオフ、吉田の指導をじっくり見学し、吉田の話も聞いた北嶋は目の覚める思いがした。フランサのプレーが論理的に理解できた瞬間だった。
「敵の矢印の逆を取ったり、間に立つことでフリーになれるっていうことが、タツさんの話を聞いてロジカルにわかったんですよ。それで、サッカーの探求にのめり込んで。その後もタツさんに話を聞きに行きましたね」
北嶋にとっての“サッカーの先生”は、フランサや吉田といった年上だけではない。
12歳下の工藤も学びの対象だった。
「工藤とは本当によく話しましたね。工藤のポストプレーは僕にはできないものだったから教えてもらったり。逆に、工藤の知りたいことを全部教えて。工藤には、後輩から学ぶことがこれほど有意義なものなのかって教えてもらいました。ポジションを争うライバルではあるんですけど、一緒に伸びていくような関係性で、本当に幸せな時間でしたね」