Jをめぐる冒険BACK NUMBER
「やってらんねえ!」中村俊輔や小野伸二に焦って不満爆発…“プロ失格”と言われたストライカー北嶋秀朗の再生物語「工藤壮人に託したレイソル愛」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byToshiya Kondo
posted2024/01/19 17:01
柏レイソル時代の北嶋秀朗。2011年、クラブ史上初のリーグ優勝に貢献した
千尋の谷から這い上がった北嶋は、西野の信頼をがっちりと掴み取る。99年2ndステージでは6ゴールをマークし、クラブ初タイトルとなるナビスコカップ優勝に貢献。続く2000年はシーズンを通して18ゴールを記録し、柏はステージ制覇に手が届く位置に付けていた。
ところが、勝てば優勝という2ndステージ最終節の国立決戦で鹿島アントラーズに守り切られ、最多勝ち点を獲得しながら年間3位に終わる。「今年こそは」と必勝を誓って臨んだ翌01年は下位に沈んだわけではなかったが、1stステージ終了後に西野監督が解任されてしまう。
「西野さんの解任は、衝撃でしたね。自分を世に出してくれた恩人なので責任を感じましたけど、6位でクビになるんだ、プロって切ないなって思いました。チャンスの神様は前髪しかないって言いますけど、本当にその通りで、後ろ髪は掴めなかった。結局、レイソルがリーグ優勝を果たすまで10年かかりましたからね」
2000年アジアカップで狂った歯車
チームの不調に引っ張られたのか、それとも若きエースの不振が成績に影響したのか……。01年、02年と北嶋はフォームを崩していく。その遠因は日本代表での活動にあった。
「2000年にアジアカップのメンバーに選ばれて、そこでヤナギさん(柳沢敦)やタカ(高原)のプレーを目の当たりにして、自分は全然ダメだなって思ったんです。ヤナギさんの裏抜けとか、タカも万能だったけど、自分は片手で相手をブロックするポストプレーだけ。もっと武器を身につけないと生き残れないと思って、いろいろトライし始めたら、訳わかんなくなっちゃって(苦笑)」
皮肉にも、チームメイトから刺激を受けて進化しようとしたことが仇となるのだ。
スタイルを見失った北嶋は心機一転、03年に清水エスパルスへと移籍したものの、負傷の影響もあって3年間でリーグ戦7ゴールに終わり、06年に古巣に復帰することになる。
清水では不遇の時代を過ごしたとはいえ、北嶋は「移籍してよかった」と胸を張る。
「斉藤俊秀さん、森岡隆三さん、伊東輝悦さんといったワールドカップに出た超一流選手と一緒の時間を過ごせて、練習中の振る舞いとか、練習前後の準備やケアも含めて、自分もこんなベテランになりたいなって思ったんです。だから、あの3年間はすごく大事な時間でした」
舞い戻った柏は、初のJ2降格に直面したばかり。シーズン終了後には玉田圭司や明神智和といった主力選手が次々と移籍し、チーム刷新を迫られていた。
「なんとか力になりたいと思っていたのは確かです。ただ、ピンチを助けるほど清水で成績を残せていなかったんで、実際にはそんなカッコいいものではないですよね(苦笑)」