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「やってらんねえ!」中村俊輔や小野伸二に焦って不満爆発…“プロ失格”と言われたストライカー北嶋秀朗の再生物語「工藤壮人に託したレイソル愛」
posted2024/01/19 17:01
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Toshiya Kondo
市立船橋高校から鳴り物入りで柏レイソルに加入して3年目の1999年夏、北嶋秀朗は崖っぷちに立っていた。
プロの世界に生き残れるか、それとも、去らなければならないのか――。
高校サッカー界で二大スターと言われた中村俊輔はすでに横浜マリノスの中心選手となっており、1学年下の小野伸二や高原直泰も出場機会を重ねている。
それに対して北嶋は、プロ2年間で15試合2得点の成績しか残せていなかった。
「焦りはありましたね。まったく活躍できていない現実と、使ってくれたらやれるのにっていう思いとのギャップで、心のバランスがうまく取れていなくて。その結果、不貞腐れるみたいな(苦笑)」
98年11月末からは心機一転、ブラジルに約3カ月間留学した。向かった先は名門・サンパウロFC。ある日、紅白戦でメンバーから外され、同じく控えに回った選手に愚痴をこぼすと、「何を言っているんだ? 俺はここから這い上がるぞ」と言い返された。
「その選手はのちにブラジル代表となるジュリオ・バチスタで。彼はその後、紅白戦で活躍して、トップチームに定着していった。その姿を目の当たりにして、不貞腐れることはダサいって気付いて、モチベーション高く日本に戻ってきたんです」
信頼するコーチから「プロとして無理だよ」
心を入れ替えてチームに合流し、復帰戦となった4月24日の浦和レッズ戦ではスタメン起用され、いきなりゴールをマークする。2トップを組むベンチーニョとフリスト・ストイチコフの壁は高く、レギュラー奪取とまではいかなかったが、出場機会を増やしていった。
ところが、ポジション取りを目論む北嶋のやる気を削ぐ出来事が起こる。
1stステージ終了後のキャンプで、Bチームに振り分けられてしまうのだ。
「もうやってらんねえって、不満が爆発して。そうしたら、コーチの池谷(友良)さんに『キタジは逆境になると逃げ出すよね。頑張れないのも才能だから、プロとして無理だよ』と言われてしまって。ずっと目をかけてくれていた池谷さんに、これを言わせちゃ本当にヤバいぞ、と。そこから、必死に頑張りましたね。絶対に見返してやるって」
このとき北嶋が見返したかったのは、池谷コーチではない。
Bチーム行きを命じた西野朗監督である。
「西野さんは本当に厳しかった。口調は穏やかなんですけど、この選手は使わないと決めたら、絶対に使わない。その信念というか、ブレない姿勢は今振り返ってもすごかった。あとで聞いたんですけど、プライドが高かった僕に本気を出させるためにBチームに落としたらしいです。ライオンは我が子を谷に落として、這い上がってきた子だけを育てるって言うじゃないですか。そんな感じだったんだと思います」