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「人的補償の素晴らしさも、もっと知ってほしい」巨人→中日移籍の当人が18年越しに明かした“プロテクト外”の本音〈FA制度を考える〉
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byJIJI PRESS
posted2024/01/17 11:02
中日ではその明るいキャラクターでファンの心も掴んだ小田幸平
しかし、多くの人が想像するのは記事の内容は正しく、結末がそうならなかった「事情」だろう。思いがけず渦中の人となった和田は、15日に長崎県内での自主トレを公開。一連の騒動について初めて口を開いた。
「いろいろな報道や記事が出ているみたいですが、自分としてはこの件には触れたくない、考えたくないというのが一番の思い」
これ以上はしゃべらせないでくれということなのだろうか。そうでなくても大型契約で移籍した山川への逆風はすさまじく、収束する前に今回の人的補償騒動が勃発した。ネット上での反響も大きく、そもそもの根源は移籍した山川と契約したソフトバンクにあるという感情論だけでなく、巨大戦力を抱え、年齢面も考慮しての苦渋の決断にせよ、和田をプロテクトしなかったソフトバンクを批判する声、和田への同情、逆にルールである以上は従ってほしかったという批判、それらの事情を全て飲み込んで、黙って西武へ移籍した甲斐野への称賛や同情の声が渦巻いた。
「人的補償」は“犠牲者”か
その根底にあるのは人的補償というシステムへのネガティブなイメージ、つまり華々しく移籍するFA宣言者が光とするなら、陰でありかわいそうな犠牲者だということだろう。
しかし、物事の受け取り方は人それぞれである。「なんで俺が」と思う選手がいる一方で「頼む、俺を選んでくれ」と念じていた選手もいる。
「知ってますか? 僕は人的補償の最長記録だったんですよ。赤松に抜かれて元になっちゃいましたけどね」
中日のバッテリーコーチを務める小田幸平である。2005年オフに巨人にFA移籍した野口茂樹の人的補償として中日に入団。当時の落合博満監督は、人選は即決だったと明かした上で「まさか小田が外れているとは思わなかった。大もうけと言っていいんじゃないか」と珍しく饒舌に喜んだ。
「俺を選べ!」と念じて…
このシステムが始まってから、小田は4人目の移籍だが野手第1号でもあった。以降、甲斐野で36人目。14年に引退するまで9シーズンの在籍期間は、小田が話すように「元最長記録」であった。現在は赤松真人(阪神-広島、08~19年)の12シーズン、一岡竜司(巨人-広島、14~23年)の10シーズンに抜かれたが、新天地で重宝され、愛されたのは間違いない。