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「人的補償の素晴らしさも、もっと知ってほしい」巨人→中日移籍の当人が18年越しに明かした“プロテクト外”の本音〈FA制度を考える〉 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byJIJI PRESS

posted2024/01/17 11:02

「人的補償の素晴らしさも、もっと知ってほしい」巨人→中日移籍の当人が18年越しに明かした“プロテクト外”の本音〈FA制度を考える〉<Number Web> photograph by JIJI PRESS

中日ではその明るいキャラクターでファンの心も掴んだ小田幸平

「自分が補償選手となる予感はありましたよ。ただ。あの年(05年オフ)の巨人は西武からも豊田(清)さんを獲得していたので、どちらかわからなかった。そんな中で『頼む、中日来い! 俺を選べ!』って念じていたんですよ。それが通じたような形になったので、ものすごくうれしかった」

 中日を熱望していた理由は「谷繁元信さんがいたからです」。絶対の正捕手が君臨していた一方で、二番手捕手は手薄だった。巨人には阿部慎之助がいて、村田善則も控えていた。小田が目指したのはレギュラーではなかったが、三番手として一軍にしがみつくつもりもなかった。輝きを放ち、存在感が際立つ二番手だったのだ。

 自身が思い描き、落合が望んだ通り、小田は理想的な二番手捕手となって谷繁とチームを支えた。在籍9年で出場285試合、78安打、29打点、1本塁打。数字をはるかに上回る存在感が、確かにあった。ベンチからすれば谷繁に万が一の事態が起こった時も、安心して守りを任せられる捕手としての力量。とりわけ最年長の山本昌とは相性が良く、専属捕手としてリードした。

「人的補償最高!」

 打撃と体力が課題ではあったが、なぜか勝敗を左右する場面で好打を放った。お立ち台に上がれば「3、2、1、やりました~っ!」と絶叫する姿はファンに愛され、グッズとして販売もされた。

 在籍9年でリーグ制覇3度、下剋上での日本一が1度。谷繁が太陽のごとく熱く投手陣を引っ張る捕手だとすれば、小田は静かに照らす月光のように、投手たちを見守った。

「いま、人的補償がどうこう言われてますが、僕に言わせれば人的補償最高! 人的補償ありがとう! なんです。人的補償の素晴らしさも、もっと知ってもらいたいんです。いまの僕がコーチとしてやれているのも、人的補償のおかげ。本当に感謝している」

 人生はどこにチャンスが落ちているかわからない。大型移籍の犠牲者ではなく、大きな転機とするかどうかはその人しだい。オリックスから広島に移った日高暖己、甲斐野にもその可能性はある。

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